ライターのKevin Roose氏がThe New York Timesに、「Silicon Valley Is Over, Says Silicon Valley(シリコンバレーは終わったと、シリコンバレーは言った)」というタイトルの記事を掲載した。その記事では、サンフランシスコに拠点を置くベンチャーキャピタル、GGV Capitalの投資家、Robin Li氏がデトロイトのダウンタウンにあるマディソンビルのロビーに立ち、「ここはサンフランシスコよりいいな」と語っている(マディソンビルは歴史ある建物を改築したコワーキングスペースで、テクノロジの新興企業が入居している)。
Roose氏は、他のベンチャーキャピタリストと共に、豪華なバスで「ラストベルト」地域をめぐる3日間のツアーに参加し、その地域のいたるところに新興企業があることを発見した。それがシリコンバレーの終わりを意味する、というわけだ。
この記事の中では誰一人として「シリコンバレーは終わった」とは言っていないのに、この見出しはどこから来たのだろう。編集デスクか誰かが付けたタイトルなのだろうが、なぜ?
このタイトルは真実ではないし、記事の内容を表してもいない──虚偽ニュースが問題になっているこのご時世に、編集部の決定としては奇妙だ。
それに、インディアナ州サウスベンド、ミシガン州フリント、オハイオ州ヤングスタウンなどの地域のイノベーションセンターの台頭がすべて、シリコンバレーの終わりとして報じられるのも奇妙だ。何度も何度も、デジャビュのように。
ここ数年、各地でのイノベーションの台頭をシリコンバレーの死と結びつける記事が数え切れないほど登場した。
われわれが生きているのは二進法の世界ではない。シリコンバレーとその他のイノベーションセンターは両立できるのだ。
それでも、シリコンバレーが多くの失敗に投資したことを取り上げて(どれほど成功しているかには気づかずに)、シリコンバレーは失敗だとしたい見方が常にあるようだ。
シリコンバレーは、勝者の方が敗者より多いことを知っているが、それは見た目からは明らかではない。部外者は、シリコンバレーの失敗した新興企業をあざ笑うのが好きだ。それが何かを証明するかのように。
シリコンバレーはどこにも行かないし、死んでもいない。だが、変化している。
もちろん、世界中のどこででもイノベーションを起こせる。だが、事業をスケール(拡大)したいならシリコンバレーだろう。
シリコンバレーの資本は潤沢で、有望な新興企業のスケールを支援できる。また、スケールに必要なアドバイスを、技術および経営の両方について与える力がある。さらに、製品やサービスを販売するコネクションもある。
スケールはシリコンバレーの新事業だ。スケールは勝利だからだ。最初にスケールした企業が先行者利益を得、あらゆる市場や業界で他社が入り込む余地がないほどの支配的な事業を確立する。
ハリウッドの映画製作会社は多くが数年前にカナダに移ったが、ロサンゼルスは今でも魅力を放っている。イノベーションは他の地域で始まるかもしれないが、シリコンバレーはそれでもイノベーションの“マントル”であり続けるだろう。
シリコンバレーは、高級ブランドの派手な旗艦店が並ぶサンフランシスコのユニオンスクエアのようになりつつある。つまり、売り上げよりも広報を目的にデザインされている。
同様に、シリコンバレーは大企業の「リサーチラボ」や「イノベーションラボ」が集中する場でもある。既にあるのは、SAP、百度(バイドゥ)、Ford Motor Company、General Electric(GE)、Qualcomm、サムスン、パナソニック、Volkswagenのラボで、今後も増えていく見込みだ。
これらのラボから新たな研究成果やイノベーションが生まれる可能性は(偶然でないかぎり)少ないだろう。そこは、大企業が重要顧客をもてなしたり、世界の自社エンジニアに特典として3カ月の滞在を提供するための場なのだ。ショーケースであり、開発の場ではない。
シリコンバレーは終わってはいない。他のイノベーションセンターと共存していくだろう。
それに、地元の人間はシリコンバレー批判の影響をあまり受けない。自分がシリコンバレーにいると意識している人は少ない。「シリコンバレー」は外部者のためにだけ存在する。
この記事は海外CBS Interactive発の記事を朝日インタラクティブが日本向けに編集したものです。
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