「正解を言いあてる」だけの教育に変革を--DeNA南場会長が語るプログラミング教育 - (page 2)

藤井涼 (編集部) 渡徳博(カメラマン)2018年01月01日 08時00分

プログラミング自体を理解する授業が必要

——2020年には小学校におけるプログラミング教育が必修化します。2017年3月に公示された学習指導要領の内容をどう評価していますか。また、必修化に向けて民間企業としてどのようなサポートをしていくのでしょう。

 私もとりまとめられたものを読みましたが、非常に良い方向に向かっていると思います。せっかくゼロから新しいことをやろうと動き出したところなので、すぐに完璧にはなり得ません。足りないところを批判するのはすごく簡単なんですが、それはあまり生産的ではないので、まずは必修化として動き出したことを評価すべきだと思います。そこで、いろいろな課題が炙り出されれば、みんな前向きになりますし、より改善していくでしょう。

 ただ唯一気になるのが、プログラミングを新たな教科ではなく、既存の教科に入れ込もうとしていることです。たとえば、国語や数学などの教科はもともと教えなければいけないことがたくさんある中で、先生は精一杯やってらっしゃるわけですよね。そのパツパツの状態でさらに新しい教え方をしてくださいというのは、どうなんだろうと思いますね。

 やはり、小学校低学年のうちは私たちがやっているような形で、他教科にプログラミング要素を組み込むにしてもプログラミング自体を理解する授業はあった方がいいと思います。そこで、ゲームを作ったりアニメを作ったりしたら面白いのになと思いますね。勉強ではなく、楽しみながらのめり込んで覚えていくこともあると思うので、そういう意味ではプログラミングを別の教科として、くくり出していいと思います。

 (必修化のサポートについては)今回、渋谷区で使っていただいているような形で、より多くの方にプログラミングゼミを無料で使っていただければと思います。また、どの先生でも初等教育なら教えることができますので、そういったことをウェブサイトで情報発信したり、教材の中に組み込んだりすることで、プログラミングに対する不安や抵抗感を取り除くお手伝いができればと思います。


「プログラミングゼミ」で学習する小学1年生

——先生がプログラミングに抵抗感を持つ理由は何だと思いますか。

 「プログラミング」という名称自体に原因があるのかもしれません。どうしてもエンジニアが使う難しいコーディングツールという印象があるので。でも、初等教育で使うビジュアルプログラミングなどはそれとは違うじゃないですか。そこを理解してもらえればいいのですが、すぐには難しいですよね。やはり世代の問題もあると思います。教育の仕組みやシステムを作っている世代と、受益者の世代の感覚が離れすぎていますから。

——現状、プログラミングには英検や漢検のような“指標”がありません。そのため、今からプログラミング教室に通わせたり、学ばせても意味がないと考える保護者もいます。

 プログラミング言語にはさまざまな種類がありますが、ある程度習得すると全然異なる言語体系の中で起きている新しい動きについても、それなりに理解できるようになります。りんごとパイナップル位の違いはあっても、象とレモンのような別物ではないわけです。ですから、何かを深掘りしたからといって、「やっぱりここを掘っておけばよかったな」ということは絶対になくて、過去に経験したことは別のことでも必ずプラスになりますので、全く心配しなくて大丈夫です。

 ただ、ここは考え方の問題で、どうしても保護者は受験のことを考えたりして、子どもが大人になった時に損をしない教育をしたいと考えてしまいますよね。いい高校や大学に入れるというメンタリティで小学1年生から始めてしまうとすごく残念なので、子どもたちが楽しんでプログラミングを学べるようにすべきだと思います。

——保護者世代はプログラミングを習ってきていないため、今後は国語や算数の宿題ように、自宅で子どもに教えることが難しくなりそうです。

 最初からやれば大人も覚えられますから、小学1年生向けのビジュアルプログラミングであれば、保護者も一緒にやればいいと思いますよ。やはり大人の方が早く理解できますので。もちろん、ある程度のところで子どもがすごい勢いで覚えていって、大人を追い越していくと思いますが、最初のところのアシストは絶対にできます。なので、ぜひ自分でもやっていただいて、この程度のものかと思ってもらえればいいですね。


南場氏が理想とする「考えさせる教育」

——最後に、南場会長の理想とする教育の姿について教えてください。

 繰り返しになりますが、子どもたちがただ答えを覚えることに時間を使って、考えることをしていないことに危機感を覚えています。私はいつも「非常識を大事にしよう」と言っているのですが、事業においても、まずその分野の常識を深く理解した上で、常識のままやることが自分たちにとってベストなのか、これでいいのかということを常に疑うようにしています。これは単なる癖の問題なんですが、できていない人が多すぎるんですね。

 それはやはり、正解を言い当てて丸をもらったときに、本当にその答えが丸なのかと疑うことを一切していないからです。すぐに次の問題にいって、さらに丸を獲得しにいくわけです。それを繰り返していくと「パブロフの犬」のように、答えを知っているオーソリティに丸をもらうことが正しいと考えるようになっていきます。そのまま社会に出ると上司の顔色ばかり伺う人になってしまうのですが、いまは上司が答えを持っているような時代じゃないわけです。

 みんなにとって初めての課題に直面した時に、考える力のポテンシャルが解き放たれているか、それともオーソリティの答えを言いあてるところにエネルギーを使うのかというところで、人間の価値というのは相当違ってきていて、自ら考える力を持っている人のバリューは非常に高いと思います。だから、私が理想とする教育は「考えさせる教育」だと思います。

 それと、何か物事を起こそうとする時に、1人でできることは限られています。ですので、大きなうねりを作っていく時には情熱で人を引っ張っていく必要があるのですが、そのパッションを人に共有することが得意な日本人が非常に少ないと感じています。なんとなく気恥ずかしいとか、斜に構えるとか、ちょっと様子が違う人がいると萎縮してしまうとか。それでは、大きなうねりを作ることは難しいので、そういったことも小さい頃から身につけさせるべきです。今の学習指導要領を少しずつ改善するというやり方を抜本的に変えて、ゼロベースでどんな人材を育てていきたいのかというところから作り直せばいいと思いますし、型にはめないでもっと自由に学ばせた方がいいと思いますね。

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