2016年中ごろ、人々は巨大なVRヘルメットを頭に装着するという概念に慣れ始めていたが、Pokemon GOはそれと全く異なる方向性を提示した。スマートフォンベースのゲーミングは、完全に別物であるように思えた。これに似たもの(Ingressや、さらにはそれより古い代替現実ゲームやジオキャッシングも含む)も過去に存在したが、Pokemon GOに比べると規模が小さかった。さらに、2016年に大きなブームとなった、印象的だがユーザーを著しく孤立させるVRプラットフォームに対して、Pokemon GOは圧倒的なソーシャル性を備えていた。
拡張現実には、VRヘッドセットほどの深い没入感はない。スマートフォンで体験する場合は、特にそうだ。ただし、コミュニティー性に関しては、ARの方がはるかに優れている。未来における「最高のAR」の概念を考える場合、「ソーシャルである」ことが何を意味するのかを模索することになるだろう。それは、(「Google Tango」のように)自撮り棒を用いて教室で使うことだろうか。それとも、Snapchatのように、共有レンズを通して実現されるのだろうか。あるいは、Pokemon GOのように、ジオマッピングされたソーシャルな世界の中で実現されるかもしれない。Pokemon GOは、筆者がこれまでに見た、スマートフォンによる共有体験の中で最も優れたモデルである。
息子と一緒に動物園を歩きながらポケモンを探す、あるいは夏の週末に息子のいとこと一緒に遊ぶ。それは個人的な時間だった。喫茶店にたまたま居合わせた人たちと、数分前にそこを通ったポケモンが何だったのかを語り合う。誰もが自分のスマートフォンを見ていたが、それと同時に全員が一緒にPokemon GOをプレイしていた。仮想世界を一緒に共有していたのだ。
VRの分野に、これと同じ体験を提供するアプリは1つもない。
確かに、Pokemon GOは最初に登場したARアプリではない。もしかすると、ARをメインストリームにした先駆的アプリと見なされるのは、妙に高品質で楽しい顔フィルタを搭載するSnapchatかもしれない。しかし、Snapchatの現実を変容させるビジョンは主として、前面カメラを通して内側を向いている。それは自分の姿を映す鏡だ。Pokemon GOは外を向いている。今後登場するほとんどのARアプリもそうなるだろう。
だが、仮想現実や拡張現実といった用語を抜きにして考えてみよう。ほとんどの人にとって、Pokemon GOの本質は、単純に外を歩き回って、スマートフォンで楽しい体験をすることだった。それは実際に楽しい体験であり、多くの人はARモードがオフの状態でもプレイした。
AppleがiPhoneと「iPad」向けに提供を予定しているプラットフォーム「ARKit」では、あらゆる種類のグラフィックの仕掛けやリアルなエフェクトが利用でき、Pokemon GOが完全には再現できなかった方法で、物体を現実世界に浮かんでいるように見せることができる。そして、この機能をPokemon GOと同規模の何百万人ものユーザーに提供する。どのようなアプリが登場するのだろうか。おそらく、インテリアデザイン関連のアプリが登場するはずだ。3Dペイントツールも考えられる。クールでリアルなモンスターや飛行物体もたくさん姿を現すだろう。ルックスが向上したポケモンも出現するかもしれない。
ただし、AR分野で独自のキラーアプリの開発に着手する開発者たちは皆、Pokemon GOを参考にするだろう。その理由は、必ずしもそれが最もうまくARを使用した事例であるからではなく、多くの人が使ったことのあるアプリだからだ。この上ないバイラルの力により、Pokemon GOは普遍的な試金石、そして、究極の成功例になった。
それにあやかりたくない人などいるだろうか。
この記事は海外CBS Interactive発の記事を朝日インタラクティブが日本向けに編集したものです。
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