電子書籍ビジネスの真相

電子雑誌元年がやってきた(後編)--「紙雑誌は死んだ」から「だから何?」の時代へ - (page 3)

林 智彦(朝日新聞社デジタル本部)2016年07月11日 08時00分

「電子書籍」「電子雑誌」という概念の再考

 もちろん、米国の「マガジンメディア360°」も、筆者が試みに算出してみた「日本版マガジンメディア360°」にも、それぞれ課題があります。

 なかでも、雑誌の「読者数」「部数」と、ウェブの「UU」とを同一視すべきかどうか、というのは、誰しも抱く疑問でしょう。両者は、質的に異なるものですし、「単位あたりの売上」も異なります。

 とはいえ、社会の中でウェブがますます存在感を増していく中で、ウェブに積極的に進出し、そこでのブランドパワーを収益化(マネタイズ)しようとしている企業の努力を正当に評価するための一つの方法であることは間違いないでしょう。

 筆者は以前から「電子書籍」「電子雑誌」という概念には、根本的な誤解があるのではないかと考えていました。

 世間では、今ある、紙の「書籍」や「雑誌」を「電子化」してネットで売ることが「電子書籍」「電子雑誌」だと考えている節があります。

 もちろん、それも間違いではないのですが、より広い視野で見た場合には、むしろ逆にとらえた方がしっくりする気がするのです。

 「逆」とはどういうことでしょうか? いま、ウェブ、モバイル、動画、サイネージなど、広い意味でのコミュニケーション技術の急激な発達が、人と情報のつきあい方を、大きく変えつつあります。人間は情報(記号)を操ることで生きる動物ですから、この変化による影響は、人間生活や文化の、すべての側面に及んでいます。

 その結果、従来、紙の新聞や雑誌、書籍だけが担っていた「コミュニケーション市場」が、デジタル技術によって、爆発的に「拡大」しています。

 そうした「拡大運動」の余波の一部が、たまたま「(伝統的な)出版」という陸地にたどりつき、起こした波紋が「電子出版」なのではないか。

 「出版」が何かをどうする、ということではなく、その逆に、コミュニケーションのあり方の変化が、「出版」を新しいやり方(目的、効果、技術、ワークフロー、媒体)で再定義するよう求めている、そうしたニーズにどう応えるか、それが「電子出版」の意味なのではないか、と思うのです。

 こうした意味の「電子出版」に含まれるのは、紙で出しているものを電子媒体で出し直すといった単純な「電子化」だけではありません。むしろ、それはごく一部です。

 たとえば新刊・既刊をきちんと知ってもらえるようなウェブサイトの運営や、ネット上での適切なプロモーション、ウェブを使った才能発掘(CGM)や記事配信(分散メディア)、クオリティの高いネイティブ・アドの制作と配信、オウンドメディアの運営代行やネット集客、イベントやセミナー、新興のメディアを使ったコンテンツの創造や再利用、プロモーション等々、およそ出版に隣接することなら、何でも含まれます。

 実際、これらの事業は、米国の雑誌社がいま必死になって取り組んでいます。下記は、米国の雑誌社の収入源を、2004年と今とで比較したグラフです。

 上段が、B2C(消費者向け)雑誌、下段が、B2B(企業向け)雑誌です。B2Cでは、デジタル広告とイベントが、B2Bでは、広くデジタル事業とイベントが、それぞれ伸びていることがわかります。もともと米国の雑誌ビジネスは広告(紙)と定期購読への依存度が高かったのですが、この10年ほどで、広告(紙)と定期購読への依存度を急速に減らし、その分、デジタルとイベントへシフトしています。特にB2Bは、従来の紙雑誌のビジネスによる収入は、以前の半分に減っています。

 コミュニケーション技術の発展により、既存の出版社が対象としていた「読者」の外に、膨大な数の「潜在読者」が生まれています。こうした潜在読者は、何もしなければ新興企業の顧客になるだけですが、出版社が本気になって取り組めば、自分の顧客にできるのです。

 いわゆる「出版不況」の原因として、「若者の読書(文字)離れ」「スマホの普及によるアイボール(目玉、コンテンツ消費時間)の奪い合いの激化」などが指摘されてきました。こうした指摘のほとんどが的はずれであることは、過去のこの連載でも何度か指摘してきました。

 本当の問題は、コミュニケーション技術の発達によって潜在市場が広がっているのにも関わらず、旧来のビジネスのやり方に固執し、その外側に進出してこなかった「出版」の側にあるのではないでしょうか。

 図にまとめてみると、以下のようになります。


 上部の紫の円は、コミュニケーション市場を拡大してきた技術的発展の要素です。その中で、今、特にウェブと電子書籍という技術を使って、電子書籍、電子雑誌のビジネス領域(黄色)の部分が拡大しています。

 しかし、従来の出版ビジネスの中からではなく、外から見ると、出版ビジネスの拡大に利用できる技術は、まだまだ他にもたくさんあります。

 例えば、今話題のFinTech。中でも暗号通貨BitCoinの中核テクノロジーであるブロックチェーンを、電子書籍・電子雑誌を支えるDRM(著作権保護)システムの改善に使えないか、という議論がされています(Ethereumイーサリアムとは)。

 ブロックチェーン技術を使えば、AmazonやGoogleといった中央の認証機関なしに、所有者と紐付いた形でコンテンツを流通させることができ、事業者の撤退によって電子書籍が読めなくなるといった、従来のDRMの抱える、最も深刻な課題を回避できる、と期待されているのです。

 ジオロケーション(位置情報)とIoTを組み合わせれば、「ある特定の場所でしか読めない本」なども実現可能です。大人気のIngressのナイアンティック社と任天堂が開発した「Pokemon Go」は、現実の空間の中でポケモンのキャラクターと遊べるゲームで、IoTはからんでいませんが、ゲームの代わりに「本」や「ストーリー」と遊べてもいいわけです。

 出版の拡大に使えそうな技術は、まだまだ他にもありますし、今後も新顔は増えていくでしょう。

 他方、これまで「出版」が大事にしていた価値――コンテンツの信頼性、一貫性、読みやすさ、見やすさ、理解のしやすさ――は、いささかも毀損されてはいないと感じます。むしろ、新しい市場が拡大することによって、そうした価値を実現するためのノウハウは、稀少性を増していくでしょう。ただし、「出版」の側が、そうした「新しい市場」に打って出る場合に限ります。

 今我々は、上手の点線のところ(2016年)にいます。この時点では、「出版」は基本的に黄色の部分(「電子化」の事業)しかビジネスにしていません。薄い紫の部分、つまり新市場は、ポテンシャルとしてはあるにも関わらず、ほとんど未開拓です。

 dマガジンの成功は、既存の雑誌が持っていた価値(流し読みができる)に加えて、デジタルならではの付加価値(記事・特集単位で串刺しに流し読みができる)を実現したハイブリッド戦略にありました。これこそまさに、単なる「電子化」ではない、上手の黄色から薄紫に拡大していく運動の好例でしょう。

 このような「大きな図」の中では、「これは『出版』じゃない」「あれは『出版』だ」といったたぐいの、古い業界のコップ(上図の黄色の部分)の中だけを見た神学論争はまったく無意味になります。ある意味で、コミュニケーションが関わる産業すべてが「出版」だとさえ考えられるのです。

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