「キョロ充」という言葉をご存じだろうか。キョロ充とは、リア充ぶっているがリア充ではなく、1人でいることを恐れて常にキョロキョロと友達を探し、リア充集団の後ろをついていく学生の生態を指す言葉だ。「ぼっち」と見られることを極度に恐れ、無理をしてでもリア充でなければならない学生時代を象徴する言葉と考えられる。
大学生といえばキラキラとした青春を謳歌していそうだが、実態はそうでもないらしい。大学生はどのようなSNSを使い、どのような行動を取っているのか。彼らの行動に潜む問題点までを見ていきたい。
大学生においては、リア充、非リア充、キョロ充のどの層が多数を占めるのだろうか。それを調べた興味深い調査結果がある。社会人男女を対象にしたフレッシャーズの調査(2015年7月)によると、「あなたは大学時代『リア充』だったと思いますか?」という質問に対して、「非リア充だった」が49.2%で約半数と最多だった。一方、「リア充だった」は39.6%となり、「キョロ充だった」も11.2%いた。大学生=リア充ではなく、むしろ非リア充が大半であり、キョロ充も一定数を占めるのが実態だ。
なおリア充だったと考える理由は、勉強、恋愛、バイト、サークルなどで充実した楽しい毎日を送っていたというもの。一方、非リア充だったと考える理由は、友達を作らず授業とバイトのみ、ゲームのみなどの生活をしているケースが多いようだ。キョロ充は、無理してリア充集団と過ごしていたが疲れたり、なじめなかったりしたケースが多い。
大学生は、友達がいない「ぼっち(独りぼっち)」と見られることを極度に恐れている。「FacebookなどのSNSで友達が最低100人いないと、『友達がいない』と見られる。だから、知り合ったばかりの人にも申請して100人を超えた」--大学生のそのような話をよく耳にする。
大学1年男子A介は、大学でなかなか友達ができない状態だ。一番つらいのはランチタイム。授業が終わるとみんな自然と集まり始め、仲間同士でランチに向かっていく。A介はその輪に加わることができず、耐えられずにトイレでランチをすることが多いという。いわゆる「便所飯」だ。A介いわく、「トイレで食事は別に平気。それより、周囲に『ぼっち飯をしている』という目で見られる方が耐えられない」という。
「ぼっち飯の場合は、Instagramではあえて『#ぼっち』『#ぼっち飯』などのタグをつけて投稿すると、ぎりぎりセーフ」と大学1年女子B子は教えてくれた。投稿することでネタとして昇華され、周囲に受け入れられるようになるというわけだ。「その代わり、普段はなるべく盛った写真を撮るためにわざわざ休日をつぶして、いろいろな場所に出かけるようにしているし、食べたくなくても可愛いスイーツを購入して写真を撮ったりしている」。「本当はリア充」という周囲の評価があってこそ可能な「ぼっち飯」というわけだ。
私の周囲にも、人と会ったらツーショット写真を撮ってFacebookで公開することに力を入れている人がいる。私もその人と会った時にツーショット写真を撮られたが、その人は誰ともほとんど話すことなく、実質写真を撮っただけで帰っていった。しかし、翌日にはタグ付けされて写真が公開されてしまい、私の友達からの「いいね!」やコメントが多く付き、自分が利用されたような気持ちに陥ったものだ。
スマートフォンネイティブ、SNSネイティブの大学生たちは、SNSありきで始終周囲の目を意識して暮らしている。学生時代は狭い学内という空間と人間関係から逃れられず、「ぼっち」と見られると、周囲から浮いて人間関係的に致命傷となる可能性が高いのだ。しかし、周囲から浮かない写真を撮るために、やりたくもないことを無理にやるのはどうだろうか。
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