米国時間1985年11月20日付けのThe New York Timesは、キューバ北部とフロリダキーズに上陸したハリケーン「ケイト」が北上し、メキシコ湾岸地区を脅かしていたことを大きく扱っていた。しかし、別の大きなニュース(少なくともテック業界的に)が、遠く離れたラスベガスで開催のトレードショー「Comdex」でまさに発表されようとしていた。
Appleはその1年前、グラフィックインターフェース採用の「Macintosh」を発表したことでニュースのトップを独占していた。そして、今度は、Microsoftが「Microsoft Windows」を発表する態勢を2年遅れの末にようやく整えた。
しかし、レビューでの評価は、不人気で知られるFordの「Edsel」の方が間違いなく高かった。
コンピュータレビューを専門とするErick Sandberg-Diment氏は、「Windowsを512Kのメモリを搭載したPCで稼働するのは、北極圏で糖蜜をつぐのに似ている」と自身のコラムで記した。これは、同製品が全くの失敗であることを述べた多くの批評の一部であった。
これは、Microsoftにとって一時的な敗北あり、同社は当初受けた辱めを一笑に付した(Windows. 1.0の出荷を担当していたプロダクトマネージャTandy Trower氏は、Microsoftが同製品を正すためにどのような苦労をしたかをつづった素晴らしい記事を公開している)。Microsoftにとって不幸だったのは、Windows 2.0がWindows 1.0と比べてあまり良くなかったことだ。しかし、第3世代のWindowsが1990年に登場するまでには、Microsoftは明らかに勝者となっていた。
また、これによりMicrosoftは、長年のパートナーであったIBMとの遺恨を残す形で決別することになっている。IBMは、別のグラフィカルなPC用OSに期待をかけていた。同OSは、Microsoftと共同で開発され、「OS/2」と呼ばれた。しかし、Bill Gates氏は自身のビジョンを押し通し、Windowsは正真正銘の金のなる木となった。Windowsは、Microsoftやその株主に対して数十億ドルを生み出す可能性を持っていた。
今日では、数年にわたり登場している多数のWindowsがMac OSの提供するシンプルさとエレガントさに遠く及んでいないというMicrosoft批評家たちによる不満を聞くことができる(同様の言葉をコアなOS/2ファンからも聞くことができる)。これについては、酒の席での話題として残しておくことにしよう。後知恵とはなるが、より明確なことがある。それは、Windows 1.0は失敗だったということだ。しかし、同時にそれは、テクノロジ界の帝国を築くであろう技術的ビジョンを具体化させたものだった。
この記事は海外CBS Interactive発の記事を朝日インタラクティブが日本向けに編集したもので す。
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