存命のHomebrew Computer Clubメンバーにとって、この再結集はどのくらい重要だったのだろうか。非常に重要なことだったようだ。初期メンバーだったMarty Spergel氏が、シリコンバレーの会場に来ることはできなかったものの、テレプレゼンスロボットを介して参加したことからそれが分かる。
バーチャルのSpergel氏が会合の場を動き回ると、メンバーは歩み寄って、同氏が本当にそこにいるかのように挨拶した。ロボットが3人のメンバーのところに来ると、Spergel氏は元気にしているかと聞いた。するとその1人のHarry Saal氏は「われわれはまだ立っていられるから、ありがたいよ」とジョークを言った。
確かに、その夜の会場には白髪が目立った。それは驚くことではない。Homebrew Computer Clubが始まって38年になるのだから。Terry Winograd氏はスタンフォード大学のコンピュータ科学の教授として有名で、教え子にはGoogle創設者のSergey Brin氏やLarry Page氏もいるが、この再結集に出席することは、「多くのメンバーに会って、いかに白髪になって年を取っているかを見る機会だ。私のように」と語った。
Winograd氏自身はHomebrew Computer Clubのメンバーではなかった。同氏はシリコンバレーの中心であるスタンフォード大学にいたため、クラブ創立時には、「大きなコンピュータ」に自分でアクセスでき、クラブに加わらなくても良かった。しかし同氏はメンバーの多くと親しかった。当時は、Homebrew Computer Clubの基盤となったDIY文化が復活しつつあったと同氏は語った。それは「適切なツールがいくつかあれば、何か面白いものを組み立てられるという考え方」(Winograd氏)だ。
Winograd氏はさらに、1970年にはDIY文化が盛んで、現在もまた目立ってきているものの、その間の長い期間には、巨大企業が登場してコンピュータ業界を支配したことで、コンピュータ作成者の勢いが衰えたのは残念だと語った。「Intelとは競争できなかった」(Winograd氏)
しかしだからこそ、コンピュータとテクノロジが呼吸と同じくらい重要だと考える人々にとって、Homebrew Computer Clubの創設者たちがヒーローであるのかもしれない。
この日のイベントはメンバーの再結集ではあったが、Kickstarterのキャンペーンとして一般に公開されており、あまりに若くて、クラブのことはコンピュータの始まりについての基礎的な話として知っているだけという人々も数多くいた。単に地理的な問題でメンバーになれなかったという人々もいた。
その1人が、ボルチモアでコンピュータストアとビンテージコンピュータの小さな博物館を経営するBob Roswell氏だ。同氏は、長い間あこがれていた数多くの著名人に会う機会のために、シリコンバレーに飛行機でやって来た。「ここにいるうちの何人かに会えるだけでも、私にとっては一生の夢だった。ここにいる全員に会えて、おそれ多い気持ちだ」(Roswell氏)
しかしRoswell氏が1975年にシリコンバレーにいたら、間違いなくグループの一員になれただろう。そのクラブは、コンピュータを愛し、この機械の出現の意味を理解する人々による、対等な関係の定期的な集まりだった。
Spergel氏にとっては、クラブやそのメンバーと「仲間意識と呼ばれるもの」を構築することが大事だった。Spergel氏はテレプレゼンスロボットを介して、「それが現在もまだ存在していることが見て取れる」と語った。
そしてそれはもっともなことだ。イベントに集まった大勢の人々へのスピーチで、Wozniak氏はそれをうまく言い表した。同氏は1970年代の中頃、Appleがスタートするよりも前に行われていたクラブの会合を振り返って「(その会合は)私の生活の中で最も重要な日だった。隔週水曜日の夜だ」と述べた。
この記事は海外CBS Interactive発の記事を朝日インタラクティブが日本向けに編集したものです。
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