カリフォルニア州マウンテンビュー発--ここの隅にいるのは、Appleの共同創設者であるSteve Wozniak氏。そしてあちら側の隅にいるのは、無料で電話をかける方法を生み出した「キャプテンクランチ」だ。
向こうにいるのはAppleの従業員第1号Bill Fernandez氏であるし、部屋の反対側には、世界で初めて量産されたポータブルコンピュータ「Osborne」を作ったLee Felsenstein氏の姿が見える。
Homebrew Computer Clubのメンバー再結集にようこそ。これは米国時間11月11日の夜に、初期の自作コンピュータの作成者たちが大勢、コンピュータ歴史博物館に集まったという極めて珍しい会合だ。テクノロジの世界で最も有名なグループの1つであるHomebrew Computer Clubの第1回会合から38年後、100人近くの初期メンバーらが、クラブと自分たち、そしておそらく一番重要なこととして、パーソナルコンピュータ革命の夜明けをたたえるために集まった。
キャプテンクランチという愛称で知られるJohn Draper氏は、「ここにいる人はみな、ホームコンピュータ業界の生みの親、ホームコンピュータ業界の創始者たちだ。素晴らしいことだ。これほど多くの優れた(テクノロジ関連の)人々が集まったのを、今までに見たことがない」と語った。
Draper氏なら分かっているはずだ。何と言っても、Homebrew Computer ClubのメンバーであるRoy Nordblom氏が言うところでは、Draper氏は「魔法使い」なのだ。
1975年3月にコンピュータエンジニアのGordon French氏のガレージで始まったかつての会合に参加していなかった人には、当時の雰囲気を理解するのは難しい。しかし、この日の会合に集まったコンピュータ界の巨人たちの間を歩いていて分かった気がしたのは、こうした人々にとっては、当時生まれたばかりの趣味であったものに対する興味という共通点が重要だったことだ。
Wozniak氏の周りには予想通りの人だかりができていたが、話す順番を待っていた人々の多くは、同氏の業績を十分承知している若い人々だった。しかし参加したHomebrew Computer Clubのメンバーの間には、かしこまった雰囲気はあまりなかった。彼らは同時代の人々であり、自分たちが誕生を手助けした業界が、世界で最も重要な業界の1つに成長するのを38年間見守ってきた人々だ。そして彼らにとってそこは、大勢の有名人を眺める場所というよりも、家族の再会の場であるように思えた。
しかし一方では、そこは有名なエピソードを物語る場所でもあった。例えばWozniak氏は、「Apple II」の設計図を自分の手で描いたが、Appleの初代最高経営責任者(CEO)であるMike Scott氏が「それをきれいに直した」という話をした。さらにWozniak氏は、かつてオークションで有名なコンピュータ科学者のAlan Turing氏が書いた文書を思いがけず手に入れた時、「それに触るときには震えていた」という話もした。
その後Wozniak氏はHomebrew Computer Clubの最初の会合の話を聞いて、「出かけていったらヒーローになれるだろう」と考えたことを振り返った。「(しかし)彼らはマイクロプロセッサというもののことばかり話していた。『8080』だとか『8008』とかいうチップのことだ。私は『なんてことだ。怖くなった。彼らがなにをやっているのか分からない。ここは自分には向いていない』と思った」(Wozniak氏)
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