先日、パナソニックの代表取締役会長大坪文雄氏が6月の株主総会後に退任することが発表 された。その退任理由の一つとして指摘されているのが、同氏が社長在任中に実施したプラズマテレビへの大型投資。いまなお「撤退は最後の判断。がんばれる限りがんばる」(津賀一宏代表取締役社長)としてはいるが、見通しは決して明るくない。
では、なぜプラズマテレビはそこまで「落ち目」になってしまったのか。
プラズマテレビが初めて市場に登場したのは1997年で富士通ゼネラル製であった。薄型で大型、高精細の次世代型テレビとして当初から注目を集めていたが、本格的にその名が知られるようになるのは2000年12月のBSデジタル放送開始、そして2003年12月の地上デジタル放送開始(東名阪地域のみ)以降だ。
一般社団法人電子情報技術産業協会(JEITA)統計資料によれば、2003年12月末段階での地上デジタル放送対応プラズマテレビの累計出荷台数は約9万台。ブラウン管タイプが同19万台、液晶テレビが同17万台であることを考えると決して多いとは言えないが、この時点でのプラズマテレビには明確な「特長」があった。
東京理科大学が事務局をつとめる情報ディスプレイ技術研究委員会 主査の川田宏之氏によれば「プラズマテレビの売りは大画面で高精細映像が楽しめること」。当時の液晶テレビは20~32インチ程度が限界で、ブラウン管でも36インチまで。薄型で高精細、しかも50インチ以上の大型となるとプラズマテレビ一択で「その棲み分けは将来も続くだろうと見られていた」(川田氏)というわけだ。
後に大坪氏自身の首を絞めることになるパナソニック尼崎工場(2005~2010年にかけて3工場を建設)は、そうした見通しを前提として用意されたプラズマテレビの前線基地だった。事実、当時の大坪氏は「液晶は32インチまで、それ以上はプラズマテレビが主流」との見通しを折りに触れ語っており(時間とともに液晶サイズを上方修正したが)、4000億円ともいわれる工場設備への投資についてはマスコミ関係者含め「英断」とみる向きが強かった。
ところが、実際に進んだ未来は、大坪氏を含むパナソニック関係者が描いたものとは異なった。「現在の状況をみてもわかるとおり、液晶テレビの大型、高精細化技術は驚くべき進歩を遂げた。2009年のシャープ堺工場稼働によって50インチ以上の大型についても生産ラインが確立され、価格的にもプラズマテレビ並み、あるいはもっと安い価格で店頭に並ぶようになった」(川田氏)。
さらに追い打ちをかけるのが、消費者に拡がった「省エネ志向」。液晶テレビの雄であるシャープがテレビCMなどで「液晶は低消費電力」というイメージ戦略を全面に打ち出すと、プラズマテレビは「大型、高精細の薄型テレビではあるが、消費電力も大きい」というマイナス面がクローズアップされるようになり、ますます同じ土俵での勝負が厳しくなっていく。
JEITA統計でプラズマ、液晶の区分けがされる最後の年となる2006年末時点では、地上デジタル対応液晶テレビ累計出荷台数が833万台に達するのに対し、プラズマテレビは161万台。大型サイズでは依然として優位性があるとみられていたこの時点においても明確な差がつけられており、ブラウン管に続く次世代テレビの覇権は液晶に握られていた。それでもなお「高級機種」として巻き返しに望みをつなぎ、前述した工場開設へと投資していったのである。
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