ここまでUnityにおけるメリットが語られたが、一方ではUnityがもたらすデメリット面というのも語られていった。
大前氏は、大手メーカーがスマートフォン向けゲーム開発などにUnityを採用する現状は嬉しいとしながらも、例えば「Halo」や「ベヨネッタ」のようなハイエンドかつ重厚なゲームを求めるユーザーも確実に存在し、そのようなソフト開発ではUnityで対応できず、そうなった場合はどうするべきかを質問した。
山本氏はUnityに頼りすぎると危険であると切り出した。まずは「気の利いた仕様や、このハードはこういう表現ができるはず。だからこういう面白さがある」という技術的な基礎研究の積み上げができなくなってしまうこと、さらにUnityを活用する以上のクリエイティビリティが発揮できる環境が減ってしまうのではないかと危惧する。
大前氏は「Unityはマジックではない」とし、これまでにコンシューマゲームなどで培われたいろんな技術を教科書どおりに当てはめた、延長線上にあると語った。またコンシューマゲームのプログラマーを経験した立場として、培った技術的スキルは有用だとした。逆に「これまで関わってきた人がいれば、Unityの内部で何が起きているかを理解できるはずで、そういう人間がひとりはいないとダメ」。なにより、ゲームを作ることや面白くするスキルはUnityを扱うこととは別にあることで、仮に単純にUnity扱えるだけの人を集めてプロジェクトを受注してもうまくいかないと指摘した。
Unityを使った場合の典型的なプロジェクト失敗例について山本氏が説明した。それはUnityだから大丈夫と思って、制作工数をカットしたりUnityベースで逆算して考えられることだという。マネジメントする側の工数やコストを減らしたい思惑と、現場でゲームの面白さを調整したりするというレベルデザインのチューニングなどやらなければいけないこととのミスマッチが起き、結局は面白くないものが出来上がったり、予定通り進まずに失敗するというものだ。
これを受けて大前氏は「Unityは本質的に、使う人のクリエイティビリティを信じているツール」であることを強調。例えば移植作品であってもプラットフォームごとにUIなどが異なるために、それらに最適化する形でクリエイティビリティを発揮するのが望ましいが、スライド移植で工数や予算を減らす形でプロジェクトが組まれると、コンテンツとしてもいい結果が生まれない上に、開発側もクリエイティビリティを封鎖されてしまうと指摘。Unityが開発における上げ底になってしまっては本末転倒で、ただ単に横に流すような使い方をしてしまうようになると、ゲームとしても開発に関わる人としても逆効果になると説いた。
山本氏はさらに一歩踏み込んだ意見として、ツールが発達して開発の敷居が下がっても「面白いゲームを作れる能力のある人はあまり多くない」と述べた。そしてゲーム開発においてさまざまな作業や職種が存在するが、ツールによる効率化が進むと自らクリエイティビリティを発揮できる人以外は生き残れなくなること。また制作効率が上げられうる状態が考えられると、良くも悪くもゲームタイトルが増え、売れるタイトルはプラットフォームによって脚光を浴びるようなゲームか、プロモーション予算を潤沢に使いマーケティング主導のものしか売れなくなると警鐘を鳴らした。
トークセッションは時間の都合上により、このタイミングで終了となったが、Unityがもたらすゲーム開発の民主化による利点と、現在や今後のゲーム産業や開発に対して功罪があるという、相反する要素について垣間見える内容となっていた。
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