「1982年12月下旬のある夕方、Billのオフィスで、彼とSteveが興奮した様子で話しているのが聞こえたので、部屋の外で立ち止まって聞き耳を立てた。何の話かはすぐに分かった。2人は、その当時のわたしが生産的でなかったのが不満だった。そこで自分たちやほかの株主にオプションを発行することで、わたしが保有するMicrosoft株の価値を下げようと相談していた。2人がそのことをしばらく前から考えていたことは明らかだった」(Allen氏)
自分に生産性が欠けていたのは、意図したものではなかったとAllen氏は主張する。同氏はその数カ月前、ステージ1Aのホジキンリンパ腫の診断を受けていた。治療中もMicrosoftにとどまっていたが、一番弱っている時期に、Gates氏とBallmer氏の犠牲になったのだという。
「わたしはMicrosoftの設立を助けたし、病気のせいで制約はあったものの、まだ経営に積極的に参加していた。そんなときに、わたしのパートナーと同僚は、わたしをだまそうと画策していた。機に乗じて金を手に入れようとしたのは明白だ」(Allen氏)
1983年初めには、ついにMicrosoftを離れる用意ができたとAllen氏は記している。Vanity Fairの引用によれば、Allen氏の退職にあたって、Allen氏とGates氏はその条件について徹底的な議論を交わし、結局、「1株5ドルという安すぎる額の提示」になったという。
Allen氏は、1株当たり10ドルを要求して合意を渋ったが、Gates氏は応じなかったとしている。Allen氏はMicrosoftの所有権を売却しないまま、1983年に同社を去った。
これは賢明な手だった。Microsoftの株価が上がり続ける中で、自分の株を持ち続けたため、Allen氏は世界で最も裕福な人物の1人としての地位を確固たるものにした。Forbesによると、Allen氏は世界で57番目に裕福な人物だという。純資産は130億ドルだ。ただし、この額にはMicrosoftやほかの企業への投資分が含まれている。Forbesによれば、Bill Gates氏の資産は560億ドルだという。
Allen氏の話は、Bill Gates氏がすぐに同意できるようなものではない。Gates氏はWSJに対する声明の中で、Allen氏のMicrosoft在籍時の話は、自分が考えているのとは違うと述べている。しかしGates氏は、Allen氏がMicrosoftの成功に不可欠だったことを率直に認めている。
「Paulの自叙伝は自分の記憶と異なるところが多いものの、わたしは彼との友情を大切に思っている。技術界やMicrosoftに対して果たした彼の役割は大きい」。Gates氏はWSJにこのように述べたという。
Microsoftは米CNETに対し、Allen氏の主張について言うことは何もないと語っている(その前にWSJに対しては、Steve Ballmer氏は明確にノーコメントだと語っている)。
Paul Allen氏の「Idea Man: A Memoir by the Cofounder of Microsoft」は、4月19日に発売予定だ。
この記事は海外CBS Interactive発の記事を朝日インタラクティブが日本向けに編集したものです。
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