Facebook Placesの登場は、ロケーションベースサービス市場におけるレトリックの変化を示すものだ。というのも、Facebookはジオロケーションを永続性や記憶と結びつけることを声高に宣言しており、FoursquareやGowallaのように刺激的な即時性(「友達が今やっていることをリアルタイムで確認」)を喧伝しているわけではないからだ。Foursquareはチェックインを、ユーザーがいる都市の喧騒をデジタル化したものとして処理した(それは適切なもので、Foursquareが開発されたのは、熱狂的で、多くのバーが軒を連ねるニューヨークのダウンタウンだ。そこには今いる場所よりも刺激的な場所が必ずある)。一方、Facebookはチェックインを3次元の年代記と見なしている。
Cox氏によると、テクノロジによって「第3の場所」という現象が脅威にさらされていると多くの人が述べてきたという。第3の場所は都市社会学者であるRay Oldenburg氏が考案した言葉で、職場や家庭以外の社会的な集まりや交流の場を指す。デジタルの進化によって、われわれは「これらの小さな場所の中に留まる」ことを余儀なくされるだろうというのがテクノロジを嫌う人の主張だとCox氏は説明する。「まるで『ウォーリー』(ディストピア的なアニメ映画)のようで、太った人々が泡の中で転げ回っている」(Cox氏)
それは分かった。ではもちろん、Facebookによってすべてがよくなるというのか。
「この製品の全体的な目標であり、われわれがここで総合的に開発しようとしているのは、その『第3の場所』が健在である状態を維持し、テクノロジが実際にわれわれをテレビから引き離し、ナイトクラブやコンサート、劇場、バーへ向かわせる動機となるようにすることだ。テクノロジによって、われわれが互いに疎遠な関係になる必要はない」(Cox氏)
これは素晴らしいことだろうか。それとも気味悪いことだろうか。あるいは、その両方だろうか。Facebook Placesは慈善の心に富んだ活動家なのか、ウェブにおけるOrwellのBig Brotherなのか、それともTolkienのEye of Sauron(サウロンの目)なのだろうか。皆さんの見解がどうであれ、明白なことが1つある。それは、Foursquareのような新興企業は1年以上前から、「テクノロジは人間同士を近づける」という宣伝文句を使っているということだ。
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