絵文字が開いてしまった「パンドラの箱」第6回--Google・Apple提案とそのシナリオ - (page 3)

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「軽いノリ」から生まれた日本の絵文字

 絵文字の草創期の姿を伝えるものに、NTTドコモでiモードの立ち上げに携わった松永真理『iモード事件』(角川書店、2000年)があります。これを読むと分かるとおり、絵文字の発想の原点は、かつてポケベルでハートマークを搭載した機種がよく売れたことにありました(※2)。これに注目して、若いスタッフ達が絵文字を次々に考え出していったのです。限りなくユーザーに近い「軽いノリ」をそのまま形にすることで、他社との差別化を図れる。NTTドコモの意図はここにありました。

 その狙いは見事に当たって絵文字は広く支持され、NTTドコモの後を追ったDDIセルラー(現在のKDDI)やJ-フォン(現在のソフトバンクモバイル)にも搭載されるようになります。しかし、その「軽いノリ」ゆえに、レパートリは日本に住む人間にしか便利に使えないものになりました。言葉を換えると特定の文化圏にだけ通用する恣意的なレパートリということです。また、そもそもの動機が差別化だったこともあって「他社にないウチだけの絵文字」が求められ、結果としてレパートリの恣意的な拡張、デザイン変更が繰り返され、カオスはますます深まることになります。

 この恣意的な拡張は、後にキャリア間の絵文字変換サービスを構築する際にも大きな障害となります。絵文字を他社の携帯に送信すると、アスキーアートに変換されたり、運が悪ければ「〓」になって意味が分からなくなったりしたのです。それもこれも、絵文字のレパートリが恣意的に作られてきたからです。

 前述したように、絵文字がUnicode公式メーリングリストで欧米のエンジニアから強い反発を招いた理由も、この恣意性に求められるでしょう。国際規格は世界中の人が使うためのもので、特定の文化圏でしか使えない恣意的なレパートリはそぐわないという考え方です。アイルランド・ドイツが意図したのは、絵文字の持つ日本独自の文化色を薄め、普遍性を高めることで、国際規格にふさわしいレパートリに変えることだったと言えるでしょう。

 Google・Apple提案は、日本のキャリア原規格と互換になるように、なるべくこれを忠実に収録したものでした。どのような理由からにせよ、これに大きな変更を加えれば、Google・Appleがこだわった互換性は損なわれてしまいます。アイルランド・ドイツ案は彼等にとって決して受け入れることはできないはずです。

 ここにいたって、国際規格とは世界中の人の使える普遍性を優先すべきか、それとも元からあるローカル規格との互換性を優先すべきかという、一大テーマが浮かび上がってきます。あちらを立てれば、こちらが立たず。この難問に対して、ダブリン会議ではどのような結論が出されるのでしょう?

合意するまで何度でも投票するWG 2

 審議に入る前にもう一つ、WG 2での議論の進め方について説明しておきましょう。WG 2の目的は、国際規格ISO/IEC 10646の改訂です。改訂には何種類か形態がありますが、絵文字の収録が予定されているのは追補(Amendment/略称AMD)です。ISO/IEC 10646は規格表だけで1300ページを越えます。文字を追加するたびに全部を出版し直すと効率が悪いので、追補という形で変更分だけを出版し、それ等が一定程度たまると新たな版を出版するわけです。現在の2003年版では追補5まで出版されていて、追補6と7が審議中です。絵文字はその片方の「7」に収録するかどうかが、ダブリン会議で審議されます(※3)。

 AMDに限らず、ほとんどの案件は委員会段階→承認段階というステップを経て発行に至ります。図1を見てください。まず左側を見ると、最終的にAMDとして発行されるまで、委員会段階ではPDAM(ピーダム/Proposed Draft Amendment)、FPDAM(エフピーダム/Final Proposed Draft Amendment)、承認段階ではFDAM(エフダム/Final Draft Amendment)と名前を変えながら、いずれも投票によって次の段階に進められることが分かります。絵文字が入る予定なのは追補の7番目で、これは各段階ごとに「PDAM7」「FPDAM7」などと呼ばれます(※4)。

図1 標準化団体の階層と追補(Amendment)の作成過程(『JTC 1 Directives』を参考に作成) 図1 標準化団体の階層と追補(Amendment)の作成過程(『JTC 1 Directives』を参考に作成)(※画像をクリックすると拡大します)

 図にあるように、案件は下位機関であるSC(Sub Committee/専門委員会)やWG(Working Group/作業グループ)で審議された後(委員会段階)、上位のJTC 1(Joint Technical Committee)に送られます(承認段階)。両方とも投票によって次へすすむのは同じですが、投票の性質が大きく違います。

 委員会段階であるSC/WGでの投票は、何度も繰り返されます。このレベルの会議はたいてい春と秋、年2回開かれますが、投票は会議と会議の間におこなわれます。この投票の際、各NBは問題点をコメントの形で指摘し、会議に向けて自分達の意見表明ができます。これにより会議前に対立点が明確化されます。それを摺り合わせ、より完成された案文を作るのがSC/WGの会議なのです。

 面白いことに審議ルールを規定した『JTC 1 Directives』では、委員会段階の投票の採決基準について「十分な支持」(substantial support)と曖昧な表現しか使っていません。単純な数による採否ではなく、合意が成立したと判断されるまで何回も繰り返されるのです。AMDで言うと、異論が残る場合はFPDAMに昇格させず、再度PDAM投票をおこないますし、同じ案件をPDAMからFPDAMと名前を変えて投票をおこないます。

 ところがSC/WGレベルと違い、承認段階であるJTC 1レベルの票は一発勝負です。否決されたら廃案。コメントは許されず、賛成、否認、棄権の3択です。このように、承認段階の投票目的はイエスかノーかという最終的な判断を下すものなのです。

 ここまで述べた「ゲームのルール」から、どんなことが言えるのでしょう。まず「絵文字の審議はダブリン会議ですべての決着がつくわけではない」ということです。ダブリン会議の段階では絵文字はまだPDAMに入ったばかりで、まだPDAM投票はおこなわれていません。もしもPDAM投票が実施され、そこで十分な支持が集まったとしても、まだあと1回、FPDAM投票が必要です。委員会段階だけでも、ここから1年はかかるでしょう。

 もっとも、だからといってダブリン会議がどうでもよいわけではありません。JTC 1による承認段階に近くなるほど案文は固まり、修正部分は少なくなるのが通例です。もし委員会段階から承認段階へ昇格直前に大きな修正をしたりすれば、それに対する異論がJTC 1で噴出し、否認される可能性があります。

 前述したようにJTC 1での投票は一発勝負ですから、そこで否認されればそれまでの苦労は水の泡。それを避けるため、SC/WGレベルではなるべく最初に対立点の調整を済ませようとします。言い換えれば後の方では、多少の異論があっても目をつぶるけど、最初は遠慮なしに言いたいことをぶつけ合う。つまり、ダブリン会議のような初期段階こそが大論争の舞台になり、そこで大きな方向が決定されるわけです。

※2)お詫びと訂正

 安岡孝一氏(京都大学准教授)より、初めての絵文字はNTTドコモではなく、1997年のJ-PHONEである旨のご指摘をいただいた。そこで以下のように本文を修正したい。安岡氏の貴重なご指摘に感謝します。なお、氏はウェブサイトにて絵文字についての多くのメーカー資料を公開(PDF)している。

修正前:

 その狙いは見事に当たって絵文字は広く支持され、NTTドコモの後を追ったDDIセルラー(現在のKDDI)やJ-フォン(現在のソフトバンクモバイル)にも搭載されるようになります。

修正後:

 その狙いは見事に当たって絵文字は広く支持されます。もともとNTTドコモよりもJ-フォン(現在のソフトバンクモバイル)が先に絵文字を実装していましたが、残ったDDIセルラー(現在のKDDI)にも搭載されるようになり、絵文字は携帯電話の必須機能になっていきます。

※3/※4)お詫びと訂正 2010年2月8日

※3 修正前:

そして絵文字が入れられているのは、その片方の「7」です。

※3 修正後:

絵文字はその片方の「7」に収録するかどうかが、ダブリン会議で審議されます。

※4 修正前:

絵文字は7番目の追補なので、これは各段階ごとに「PDAM7」「FPDAM7」などと呼ばれます。

※4 修正後:

絵文字が入る予定なのは追補の7番目で、これは各段階ごとに「PDAM7」「FPDAM7」などと呼ばれます。

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