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対談:うるまでるび×シモダテツヤ--クリエイター・ミーツ・インターネット【前編】

構成:沼袋さらだ 撮影:赤司聡2009年12月11日 17時00分
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インターネットの普及は、「情報の発信者」と「受信者」という従来の枠組みを大きく変えた。この変化は、作品を生み出して世の中に届けることを仕事としてきた「クリエイター」にとっても、「作品」と「世の中」とのかかわりを変える大きな契機となっているようだ。

今回、黎明期からコンピュータを使った作品を世に送り出し続けているクリエイター「うるまでるび」のうるま氏と、ネット企業に勤めながら作品発表の場である「オモコロ」を開設し、その編集長を務めるシモダテツヤ氏に、それぞれのネットとの関わり方や、ビジネスにおける今後のビジョンについて語ってもらった。これからの「ネットとクリエイターの関係」のモデルケースが、見えてくるかもしれない。

うるま Uruma
クリエイターユニット「うるまでるび」として、アニメーションや音楽などさまざまなコンテンツの制作に携わる。代表作に「おしりかじり虫」「しかと」「小吉物語」など。12月8日には、自ら開発リーダーを務めたアニメ作成ソフト「PICMO」をリリースし、発売元となるチェリコ・エンターテインメントの代表に就任。公式サイト「うるまでるびデラックス
シモダテツヤ Tetsuya Shimoda
「paperboy&co.」で、マーケティングなどの業務に携わる傍ら、ネットに集うバカクリエイターの作品発表の場として「オモコロ」を開設。現在、「あたまゆるゆるインターネット」をキャッチコピーにした同サイトの編集長を務める。ネットでの作品発表、コンテンツプロモーション、書籍出版、イベント企画、デコメ配信などを手がける。公式サイト「オモコロ


うるま:シモダさんおいくつですか?

シモダ:28歳です。うるまさんは?

うるま:46歳。僕が28歳のときってまだインターネットってなかったかも。1994年ごろに2つのプロバイダのアカウントとりましたよ。ウィンシステムとベッコアメ。モデムをピーガーいわせて繋いでました。その後わりとすぐに、今は「うるまでるびデラックス」というサイトでやってる「今日の気分」というコーナーで毎日落書きするようになった。自分でホームページを開設した時、これは更新が要だなと思って、僕らに毎日できることといったら「落書き」だったんです。

シモダ:僕、その頃小学6年生でした。自宅にパソコンはあったのですが、なぜかプロバイダー契約をかたくなに拒否する父親がいて、宝の持ち腐れだったんです。だからオンラインにはずっと憧れてたんです(笑)。大学生のころ、バックパッカーで世界をフラフラしてた時期があって、親が早く日本に帰って来て欲しそうにしてたのにつけ込んで、「ネットに繋いでくれたら日本に帰る」って駄々をこねて(笑)。それで初めて触れる機会に巡り会ったんです。今から……7年前の話です。

うるま:ついこのあいだじゃない! すでにすごいギャップが(笑)

シモダ:もう個人のホームページが盛況なころでしたね。当時はテキストサイトブームで、作家でも何でもない普通の人が第三者に向けて面白い文章をアップしてるのを見て、衝撃を受けました。それまでは表現者になるとしたら書いたものを賞に応募したり、出版社に持ち込んだりするイメージがあったんですけど、これからは無名の人でもどんどん発信していけるんだなって。それで、自分もやってみようと思ったんです。

うるま:僕も「今日の気分」を始めたころってすごくいろんな刺激を受けて、わくわくした。その時点で今現在のこの状況は見えてましたね。いずれこうなるだろうなって。もっとも、これから先は全く見えないけど(笑)。

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シモダ:パソコンで絵を描きはじめたのはいつごろですか?

うるま:30年くらい前になるかな、まだ日本製のパソコンもほとんどなく、Appleも日本で発売してないころ。うちの親父は大学の数学科を出ているバリバリの理系なんですけど、ある日「これからはコンピュータだ!」って突然買ってきたんです。それが「タンディ・ラジオシャック」のコンピュータでTRS-80というやつでした。グリーンディスプレイで、カセットテープにデータを入れる方式でしたね。そのタンディのパソコンが来たとき「新しい画材だ!」って思いました。ドット位置の指定をする電光掲示板みたいにして、プログラムで絵を描いてましたから。操作することでドットが打たれていって、それが絵になっていくって面白かったな。その後は自分用のお絵かきソフトを自作したりもしましたね。

シモダ:そのころ、僕はまだ父親の下半身にいました(笑)。

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