絵文字が開いてしまった「パンドラの箱」第4回--絵文字が引き起こしたUnicode-MLの“祭り” - (page 6)

国際化の第1人者が、なぜ絵文字を国際規格に収録できると思ったのか?

 では、ここまでの結論を述べましょう。国旗に限らず絵文字を見ていくと、考え抜いて作られたというより「こんなのあったら楽しいよね」というような軽い(あえていえば子供っぽい)ノリを感じます。もちろんそれは悪いことではありません。だからこそ絵文字は多くの日本人に愛されたのですから。しかしそれをそっくりそのまま国際規格に持ってくればどうなるでしょう? そんなことは、これっぽっちも考えずに絵文字は作られたのですから、なにか食い違いが起こらないはずはありません。

 とは言え、その一番の責任は絵文字を作った日本のキャリアより、むしろUnicodeに持ってこようとしたGoogleにあるのは明らかです(公共の電波を使うのだから、もうちょっと考えて作れよとは言いたいですが)。彼等は絵文字に対して互換性を確保するため、ソース分離という極めつけの優遇策を適用しようとしたのですから。

 前述したようにUnicode-MLに集まっているのは、国際化を担当する欧米のソフトウェア・エンジニアです。投稿を読むと彼等には「Unicodeは世界中の人々の社会基盤」という思いが強くあるように思えます。また国際規格の世界を知る彼等は、ISO/IEC 10646の審議では一国のわがままが通らないことも知っています。そんな彼等から見れば絵文字は日本の文化に強く依存しており、これをそのまま収録することは国際規格の原則から外れると考えられたのです。これはリック・マゴウワンの反応とも通じるもので、ある意味きわめて自然で理性的な反応です。むしろGoogleの方がこの問題を軽く見すぎていたように思えます。

 もともとマーク・デイビスは第2回で書いたようなUnicodeの共同創設者というだけでなく、国際化に関しても巨大な足跡を残している人です。ICUというUnicodeを使って各国語版ソフトウェアを作るためのライブラリの責任者ですし、Javaの国際化にも深く関わっています。また特定の言語向けのHTMLやXMLを書く際に使われる言語タグの規格、RFC4646の共同著者でもあります。前にちょっと出た「en-US」などの表記はこのRFC 4646で規定された方法です。つまりデイビスに向かって「国旗が言語や地域を表す場合もある」「言語と地域は1対1対応しない」などと言うことは、まるで手塚治虫にマンガの描き方を教えてあげようとするものです。

 そんな泣く子も黙るような国際化の第1人者が、なぜ絵文字のような特定の国に強く依存するレパートリを、国際規格にそっくり収録できると思ってしまったのか? そうした疑問を考えるときに浮かび上がるのは、マーク・デイビスが所属するGoogleという企業の「社風」です。

 ここまで述べたGoogleによる絵文字提案をみて、Googleストリートビューで世界中の路地裏にカメラを入れて猛反発を受けたことや、Googleブック検索で世界中の本をスキャニングしようとして著作者達とトラブルになったことや、あるいはGoogleマイマップで「公開」をデフォルト設定にしたことで、知らずに個人情報を世界に公開してしまうユーザーが続出したことと同じ、なにか一種の強引さ、押しつけがましさを思い起こしませんか。つまり絵文字をめぐるGoogle提案は、じつのところGoogleという企業の社風を抜きには考えられないように思えるのです。

Unicode-MLでの論争の第2ラウンド「WG2ダブリン会議」

 この話には、まだ続きがあります。前述したとおり、Google提案は無事にUTC会議での承認を得た後、今度はISO/IEC 10646での収録を求めて提案されることになりました。これを審議したのが、4月20〜24日に開かれたWG2ダブリン会議です。ところがこの会議、Unicode-MLでの論争の第2ラウンドにほかなりません。ここでは全員は紹介しきれませんでしたが、以下のような各国ナショナルボディのメンバーがUnicode-MLの議論に参加していました。

  • ×ケン・ホイッスラー(アメリカNB)
  • △ピーター・コンスタブル(アメリカNB)
  • △アンドリュー・ウエスト(イギリスNB)
  • ×マイケル・エバーソン(アイルランドNB)
  • ×カール・ペンツリン(ドイツNB)

 文頭のマークは彼等のUnicode-MLにおける投稿からの判断で、「×」はデイビス達のGoogle提案に反対、「△」はどちらかといえば中立を表します。つまり賛成はなし。こういう人たちが手ぐすね引いてダブリンでGoogle提案を待っていたのです。そうした四面楚歌のWG2で、どんな議論がおこなわれることになるのか、それを予感させるようなやりとりが、すでに3カ月前のUnidode-MLでありました。旗を表す絵文字の意図を、文字の名前にどう反映させるかという議論で、うっかりデイビスは次のように口をすべらせてしまったのです。

よく聞いてほしいのだが、これらのちっぽけなもの(訳注:絵文字)を何と呼ぶかについて気にする者がいるとは、私は思わない。それは、「ロシア地域指定用絵文字シンボル」(または「ロシア用互換絵文字旗シンボル」)でも何でもよかった。(1月9日、マーク・デイビス

 じつはこの下りは、本論からずれていたので多くの人は見落としていたのです。彼の別の記述から議論が持ち上がり、それも一段落した翌日、思い出したようにドイツNBのカール・ペンツリンが、「誰も気にすると思わない」の部分を引用して短くコメントしました。

どうか、それが当然だとは思わないでいただきたい。(1月10日、カール・ペンツリン、ドイツNB

 文字コードの世界では、名前は文字を特定する重要な手段であり、とくに注意が払われます。マゴウワンも文字の名前にこだわっていたことを思い出してください。こんなこと「手塚治虫」は先刻ご承知のはずで、しまったと思ったのでしょうか、わずか3分後にあわててデイビスはフォローします。

明快さのために言い直させてほしい。《これらのちっぽけなもの(訳注:絵文字)を何と呼ぶかについて、提案開発者の中に気にする者がいるとは、私は思わない》。もちろん、あなたの言うとおり、一部の人々は情熱的に、そして熱烈に文字の名前にこだわっている。(1月10日、マーク・デイビス

 もうちょっと考えてから書けばいいのに、全然フォローになっていない。カチンときたのでしょうね、「規格開発者」の1人であるアイルランドNB、マイケル・エバーソンが、デイビスの「明快さのために言い直させてほしい〜〜」の部分を引用して、これまた短く言います。

期待していてもらいたい。(1月10日、マイケル・エバーソン、アイルランドNB

 なにを期待してほしいかというと、本当にデイビスの言うとおり提案開発者は本当に「気にしない」かどうかです。それはダブリン会議になれば分かるよということ。ちなみにこの人はダブリン会議のホスト(主催者)の一員であるだけでなく、現地での連絡窓口も担当するアクティブ・メンバーです。翌日にはペンツリンも同じ部分を引用して以下のように書きます。

おそらく、あなたはそのような人々に来るべきWG2会議で出会うだろう(少なくとも、私はダブリン会議に参加する)。1月11日、カール・ペンツリン、ドイツNB

 もちろん「そのような人々」とは「熱烈に文字の名前にこだわっている人々」のこと。彼自身もそこに含まれていることは明らかで、要するにこれは宣戦布告ですね。

 先回りして言うと、ダブリン会議が終わった後マーク・ディビス達が手にしたものは、まあ勝利と言ってよいものでした。しかし決定的な部分で敗北を喫しています。では、何に勝って、何に負けたのか。そして、絵文字は本当にISO/IEC 10646に収録されることになったのか。また、なぜGoogleは日本の絵文字を収録したがったのか? 次なる最終回をどうかお楽しみに。

小形克宏

1959年生まれ、和光大学人文学部中退。

2000年よりJIS X 0213の規格制定とその影響を描いた『文字の海、ビットの舟』を「INTERNET Watch」(インプレス)にて連載、文字とコンピュータのフリーライターとして活動をはじめる。ブログ「もじのなまえ」も更新中。

主要な著書:
活字印刷の文化史』(共著、勉誠出版、2009年)
論集 文字―新常用漢字を問う―』(共著、勉誠出版、2009年)

主要な発表:
2007年『UCSにおける甲骨文字収録の意義と問題点』(東洋学へのコンピュータ利用第18回研究セミナー
2008年『「正字」における束縛の諸相』(キャラクター・身体・コミュニティ―第2回人文情報学シンポジウム
2009年『大日本印刷における表外漢字の変遷』(第2回ワークショップ: 文字 ―文字の規範―)。

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