ニコニコ動画とAR(現実拡張)技術が可能にする「ニコニコ現実」という未来 - (page 2)

濱野智史(日本技芸)2008年04月28日 08時00分

「動画」というメディアの可能性

 ニコニコ動画の擬似同期性を可能にしているのは、「動画」の流れに沿ってコミュニケーションをするという仕組みです。

 動画というのは、映像が始まってから終わるまでの時間の流れが、その映像を見る誰にとっても同じであるという性質を持っています。私はよくこの性質を「定規」に例えるのですが、動画を再生するということは、みんながぴったり同じ長さの定規を持っているようなものなんですね。そして本当はみんなばらばらにコメントをつけているのに、動画という定規にあわせてコメントをシンクロさせることで、ユーザーの視聴時刻という、実際には存在しているはずの「時間のズレ」をユーザーに感じさせないわけです。

 こうした定規としての性質を持っているのは、動画だけではなくて音楽もそうですね。極端な話、何かコンテンツである必要すらなくて、ただ一定の時間が流れるだけでもいいのです。たとえばニコニコ動画には、ラジオ番組やアニメ番組と全く同じ再生時間で、映像も音楽もないただ真っ黒な画面が映されるだけの「動画」を投稿したものがあります(動画1)。そしてユーザーは自分の手元で録音、録画したコンテンツを再生しながら、その「ただ時間が流れるだけの動画」に対してコメントを付けている。これはニコニコ動画の擬似同期性の本質をある種わかりやすく示していると思います。

動画1:ニコニコ動画に投稿された動画「【さよなら絶望放送】 第31回  音・絵無し」。ユーザーは動画のタイムラインに合わせてアニメイトTV WEBにて公開されているウェブラジオ「さよなら絶望放送」を再生し、ラジオを聴きながらコメントだけをニコニコ動画に書き込んでいる(「再生」ボタンをクリックすると再生します)

 逆に、対象となるコンテンツの側に「一定の時間の流れ=定規」が含まれていないと、擬似同期型のコミュニケーションは成立しません。たとえば、ニコニコ動画の仕組みに触発されて、ウェブサイト上にコメントを表示するという試みがいくつか散見されましたが(ニワンゴが自ら実験的に運営していた「ニコニコブックマーク」もその一つです)、これらがあまりうまくいっていないように見えるのも、「サイトを見る」という行為自体が「一定の時間の流れ」を含んでいないからです。

 このように考えていくと、ニコニコ動画というサービスは、動画というコンテンツを視聴対象として扱うのではなく、コミュニケーションをシンクロさせるための定規として扱っている点こそが革新的なんですね。これはテレビや映画といった既存の映像メディアの発想とは明らかに異なっています。

擬似同期性を起こすのに必要な「一定の時間の流れ」

 さて、動画でなくても、擬似同期性を起こすことは可能なのでしょうか。私は可能だと思います。要は、「一定の時間の流れ」があればいいのです。

 たとえば観光ツアーのように、みんながだいたい同じタイムスケジュールやプロセスを踏んで動くものであれば、擬似同期的コミュニケーションが適用できるでしょう。「右手に大仏が見えます」とバスガイドさんが言うタイミングにあわせて、大仏のおでこに「肉」という文字を表示させる、といったイメージでしょうか(笑)。

 もう少しまじめな例を出すと、「家具やプラモデルを組み立てる」「料理をする」という行為も擬似同期化しやすいでしょう。これらは今までだと、紙のマニュアルやレシピを見ながら、基本的に誰もがいくつかの決まった段階を踏むという行為でした。決まった段階を踏むということは、コメントを出すタイミングをシンクロさせやすいということを意味しています。「次はこことここを組み合わせる」といったコメントや指示が、対象の側に張り付いて表示されれば、とても便利になるでしょうね。

 ただし、いまのところ現実の世界にそのままコメントを表示させる仕組みというのは存在しません。しかし、それほど遠くない未来には、そうした技術が発展する可能性があるかもしれない。それが「AR(Augmented Reality)」と呼ばれる技術です。

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