「今までありがとう」NTTドコモ編--三菱電機「D」ケータイを振り返る

坂本純子(編集部)2008年03月08日 06時00分
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2008年3月3日、携帯電話端末事業から撤退すると発表した三菱電機。現在販売中のドコモD905iとD705i、D705iμが最後の製品となり、新規開発を行わないというニュースに衝撃を受けた人も多いだろう。

携帯電話を1000台以上所有する、移動体通信ジャーナリストの木暮祐一氏もその一人だ。

「デジタルツーカーの頃、D製の端末は東京では売っていなかった。その頃は地域によって売られている端末が違っていた時代。東海だったか関西だったか定かでないが、D製の端末のために遠くまでD端末を買いに行った。それほどファンだったので、残念」と話す。

近年は、ドコモ一本にしぼって開発を続けてきた三菱電機。

「昔は売れていたと思うし、フリップ型の端末はアイデンティティもあって人気もあった。FOMA D800iDSのように、革新的なものをつくる気質もあった。自分自身、フリップ型のころDを愛用していて、アナログ電話のころは、他社のケータイが大きい中、Dは一番小さくて革新的だと思った」と語る。

写真は、1991年4月に発売されたムーバD。超携帯電話となった初のシリーズ。超小型携帯「mova」のサービス開始によって、契約数は大幅に増加した。

ちなみに当時のムーバ初期費用は、保証金10万円。新規加入料4万5800円とレンタル料を含む毎月の回線使用料1万7000円が必要だったという。その後、保証金は1993年に廃止。1994年より「お買い上げ制」に移行している。

2008年3月3日、携帯電話端末事業から撤退すると発表した三菱電機。現在販売中のドコモD905iとD705i、D705iμが最後の製品となり、新規開発を行わないというニュースに衝撃を受けた人も多いだろう。

携帯電話を1000台以上所有する、移動体通信ジャーナリストの木暮祐一氏もその一人だ。

「デジタルツーカーの頃、D製の端末は東京では売っていなかった。その頃は地域によって売られている端末が違っていた時代。東海だったか関西だったか定かでないが、D製の端末のために遠くまでD端末を買いに行った。それほどファンだったので、残念」と話す。

近年は、ドコモ一本にしぼって開発を続けてきた三菱電機。

「昔は売れていたと思うし、フリップ型の端末はアイデンティティもあって人気もあった。FOMA D800iDSのように、革新的なものをつくる気質もあった。自分自身、フリップ型のころDを愛用していて、アナログ電話のころは、他社のケータイが大きい中、Dは一番小さくて革新的だと思った」と語る。

写真は、1991年4月に発売されたムーバD。超携帯電話となった初のシリーズ。超小型携帯「mova」のサービス開始によって、契約数は大幅に増加した。

ちなみに当時のムーバ初期費用は、保証金10万円。新規加入料4万5800円とレンタル料を含む毎月の回線使用料1万7000円が必要だったという。その後、保証金は1993年に廃止。1994年より「お買い上げ制」に移行している。

2008年3月3日、携帯電話端末事業から撤退すると発表した三菱電機。現在販売中のドコモD905iとD705i、D705iμが最後の製品となり、新規開発を行わないというニュースに衝撃を受けた人も多いだろう。 携帯電話を1000台以上所有する、移動体通信ジャーナリストの木暮祐一氏もその一人だ。 「デジタルツーカーの頃、D製の端末は東京では売っていなかった。その頃は地域によって売られている端末が違っていた時代。東海だったか関西だったか定かでないが、D製の端末のために遠くまでD端末を買いに行った。それほどファンだったので、残念」と話す。 近年は、ドコモ一本にしぼって開発を続けてきた三菱電機。 「昔は売れていたと思うし、フリップ型の端末はアイデンティティもあって人気もあった。FOMA D800iDSのように、革新的なものをつくる気質もあった。自分自身、フリップ型のころDを愛用していて、アナログ電話のころは、他社のケータイが大きい中、Dは一番小さくて革新的だと思った」と語る。 写真は、1991年4月に発売されたムーバD。超携帯電話となった初のシリーズ。超小型携帯「mova」のサービス開始によって、契約数は大幅に増加した。 ちなみに当時のムーバ初期費用は、保証金10万円。新規加入料4万5800円とレンタル料を含む毎月の回線使用料1万7000円が必要だったという。その後、保証金は1993年に廃止。1994年より「お買い上げ制」に移行している。
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