Evan Williams氏。共同設立したPyra LabsがGoogleに買収され、現在は起業と投資を行う
「Blogger」の開発元であるPyra Labsの設立にかかわったEvan Williams氏だが、GoogleがPyra Labsを買収した2003年2月に、難関として有名なGoogleの採用選考を受けていたら、まず落とされていただろうと自覚している。同氏は起業家ではあるが、学位はなく、正式な技術者として経験を積んだわけでもないからだ。Googleが非公開の買収額でBloggerを獲得してからわずか1年8カ月で、Williams氏は同社を去った。
田舎者を自認するWilliams氏はこう語る。「私がGoogle行きを決めた理由の1つは、あちらに移ればより高いレベルで仕事ができると思ったからだ。それまで私が手がけてきたものに比べ、Googleがより大きくて優れた仕事をしているのは明らかだった」
働く必要がないほどの大金を手にしたWilliams氏だが(多くの元従業員と同じように、金額については明かそうとしなかった)、引き続き起業家として活動している。Williams氏は、Googleを辞めた直後にポッドキャスティング会社Odeoを設立したが、2007年5月に同社をライバルのSonic Mountainに売却した。現在、同氏は共同設立したマイクロブログTwitterの顧問を務めている。そのほか、自身の会社Obviousを通じて、新興企業に投資し、新しい消費者向けウェブ製品の試作品を開発している。この製品の公開はまだ先のことだ。
マッサージ師だったBonnie Brown氏は、慈善事業を始め、本を出版した
離婚したばかりで事業にも失敗(10年間にわたり私立のクリスチャンスクールを経営していた)と不運続きだったBrown氏は1999年、専任のマッサージ師としてGoogleに就職した。候補者はほかにもう1人いたが、すぐに勤務できなかったため、Brown氏の方が採用されたのだった。Googleの従業員がまだ40名しかいなかった当時、40代半ばのBrown氏は、平均時給65ドルよりも安い時給45ドルで働き、その埋め合わせとしてストックオプションを求めるという賢明な選択をした。同氏は、2003年に年間を通じて自動的に株を受け取れる特別な契約を結んだが、そのことが「信じられないくらい素晴らしい」結果をもたらした、と語る。
多額の銀行預金を蓄えて2004年12月にGoogleを辞めたBrown氏は、その後就職はせず、慈善目的の財団を設立するとともに、「Giigle」という本を書いた。この本は、2008年1月にAmazon.comで販売開始された。同氏は現在、時間があればネバダ州の自宅と孫たちが住む南カリフォルニアのビーチハウスを行ったり来たりして過ごしている。同氏は自身の著書について、Googleでの経験をシチュエーションコメディ「I Love Lucy」風に面白おかしく書いたものだと述べている。自身も笑い上戸のBrown氏は、「笑いは最高の薬」なので、みんなに笑ってもらうために執筆したと語る。
Brown氏は本のほかにも、自らが設立した財団を通じて人々の健康に一役買おうとしている。そのおかげで、忙しく世界中を飛び回ることにもなった。取材に応じてくれたのも、新しい給水施設への資金援助を検討するためにウガンダの孤児院を訪れ、帰国したばかりのタイミングだった。Brown氏はそうした生活に対して、ファーストクラスで旅行するようなぜいたくはしていないものの、「大金持ち」だという自覚はあると述べた。とはいえ、お金があっという間になくなる可能性もあることを知っているBrown氏は、復学して代替医療について学んでいる。「私は今までの人生から、お金は入っては出ていくものだということを学んだ。先のことなど誰にも分からない」
この記事は海外CNET Networks発のニュースをシーネットネットワークスジャパン編集部が日本向けに編集したものです。海外CNET Networksの記事へ
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