デジタルとアナログの緩やかな融合を--中野発「デジクマさん」の軌跡(第8回:南一哉) - (page 3)

スピード感のある市場に飛び込むには、自分も速い判断をしなければ

--「海外での投資を経験する」という、端から見れば貴重な経験をされる中で、退職という決断をされたのには一体どういう理由があったのでしょうか?

 ベンチャー投資事業に関しては、大企業を内側からフェーズチェンジすることに限界を感じ始めていました。ちょうど1997年から2000年の3年間、ニューヨークに駐在をしていまして、随時各地に飛行機で出かけてインターネット・サービス開発のベンチャー企業を探していたんです。

 ある時、有名なニューヨークのテレビ局とスポーツ系ウェブサイトを運営するフロリダのベンチャー企業のディールに出会いました。米国では大手メディア企業と、創業間もないネット系ベンチャー企業が互いに対等な立場でビジネスをする様子を目の当たりにしました。幸いこのベンチャー企業には投資をすることができ、ほどなく、その企業は米ナスダックに株式上場をしたんですね。

 それは一例ですが、インターネット系投資案件に関しては、素早くデシジョンをして行かなければならない状況の中で、東京本社とのやり取りにおいてスピード感と米国的ベンチャー文化の理解、という点でもどかしい出来事が何度かあったんです。そのギャップに悩んでいる日々の中で、たまたま日本に出張した時に、先に会った、Joiがネオテニーというベンチャー育成・投資専門会社を赤坂で立ち上げたということで、これも偶然アポが取れて遊びに行ったんですね。

 Joiとの信頼関係もあり、「もしかしたらこの会社こそ、私が求めているスピード感を持っている会社かもしれない」という思いと彼からのオファーもあり、ネオテニーに移ることをわずか数時間で決めました。凄まじいスピードでインターネットの市場に飛び込むには、自分自身の素早いデシジョンも必要ではないかという思いもありましたね。今から振り返ると、これは大手総合商社の動きが遅いということでは決してなくて、速く速く、という私の気持ちの方が先行していたのだと思います。三菱商事は、人材を大切にする素晴らしいグローバル企業で、今でもその頃の仲間との交流は続いています。

--商社から、ネオテニーへ。インキュベイトをする会社とはいえ立ち上がったばかりのベンチャーに入られてどのような気づきがありましたか?

南氏 「かつて米ジェネラル・マジック社も果たせなかった、実用的なエージェント・サービスは、デジタルとアナログ世界が融合した緩やかなサービスから生まれるのではないかと期待している次第です」

 ネオテニーに移ったのが2000年4月。そしてITバブルがはじけるも2000年の春から夏、でしたから、ベンチャー投資環境の変化が激しく非常に厳しい時期でした。小さい会社というのは大きい会社と違って、当然会社の中にはない機能がたくさんあるわけで、自分が投資先に対して多くのインキュベーションサービスを提供しなければならないことと、会社としてネオテニー自身が成長するためにやるべきことを両立する、という事が、創業間もないネオテニーにとっては大きな課題でした。

 正直、転職という自分のデシジョンが正しかったのかなと、転職してしばらくは悩む時期もありましたね。今考えれば、その時の苦悩があるから今の自分があるともいえますが。

 ベンチャー企業は同僚との間がフラットで近い分、直接バンバンぶつかり合うことも最初は多かったですね。出身母体が異なる人たちがひとつに集まりましたし。成長段階で出てくる、改善すべき点について投資先に対してだけでなく自分の所属するネオテニーに関してもしばしば議論していました。ネオテニーという会社に移ったのは、結果的には非常に良かったなと思いますね。世界最初の商用ブログサービスを開発した米シックス・アパート社への投資や日本事業の立上げ支援、最終的に日本のアクセス社に買収された、日本人がシリコンバレーで起業したルーター・ソフトウェア開発ベンチャーの IP インフュージョン社への投資も実行出来ましたし。

デジタルとアナログ、どちらも大事にしたい

--大企業の気持ちとベンチャー企業の気持ち、そして投資やコンサルティングに関する経験というものが、まさに南さんというホールプロダクトのさまざまなパーツとして機能し始めたという事ではありませんか?そこから、国内VCの東京海上キャピタル、更にGoogle日本法人へと移られるわけですが、簡単にその時、その時での気持ちの変化を教えてもらってもよろしいですか?

 「私というホールプロダクト」ですか?面白い事言いますね。(笑)

 さまざまな経験をしましたが、総合商社を辞めた理由はそもそも「プロフェッショナルなベンチャーキャピタリストになる」ということでしたから、もっとキャピタリストとしての自分を磨きたいという思いから東京海上キャピタルへ移ることを決めました。それが2004年の話ですが、その頃はファンド満期が近く、新規投資というよりも、既に投資した先をどう育成していくのかというフェーズに入っていました。インキュベーションという観点では、東京海上キャピタルは国内でも積極的でしたから大変勉強になりましたが、本当の気持ちはやはり海外ベンチャーへの投資だったんですね。

 インキュベーション・ハンズオンという言葉がありますが、米国のベンチャーキャピタルの多くはそれが大前提で投資を行いますから、米国式ベンチャーキャピタルのプラクティスを学びたい、シリコンバレーベンチャー企業に投資をしたいという思いが強くなる一方で、現実は違う局面にいたわけです。

 では、そこからGoogleに何故移ったかというと、これはキャピタリストとしてのキャリアアップということではなくて、「ベンチャーから急成長したGoogleというブラックボックスを内側から見てみたい」という知的好奇心そのものでしたね。実際、中からみたGoogleは衝撃的でした。インターネット関連技術に関する最高のリソースを持っている会社で、ご存知の通り会社組織構造は超フラット。このフラットネスはインターネットの文化そのものだと思います。

 2005年の1月から2006年の3月という短期間ではありましたが、新規事業開発マネージャーとして活動をしていました。

--そこから現在、デジタルガレージグループの投資・事業育成会社にいるということは思うところあってのことと思いますが、Googleを中からみた後に、やはりベンチャ-企業のそばでアドバイザーとして、またキャピタリストとしてやりたいという思いが強くなったということでしょうか?

 Googleは完全に自動化された世界を効率的に作って行くという点で、右に出る企業は今後もなかなか出てこないだろうと思います。

 ただ、すべてがオートマティックになるわけではなくて、小回りが利くスタートアップによる異なるヒューマンタッチが必要な事業分野があると思っていて、その辺は伊藤穣一的考え方だと思いますが、私はその後者を盛り上げて行きたいという気持ちが強いことに改めて気づきました。

 ブログやSNS等は、結局人間の知恵というアナログな物をインターネットに引き出して、CGM(コンシューマー・ジェネレイテッド・メディア)サービスというものが形成され始めているわけで、これと自動化された世界がうまくマージして行くことで、より素晴らしいサービスが出来上がって行くのではないかと考えています。

 最近では米ツイッター(Twitter)のようなミニ・ブログという「つぶやき」を書き込むサービスが立ち上がっていますが(編集部注:DGインキュベーションは、本年1月初旬に同社への投資を発表)、誰かがつぶやいたことに対して、他の誰かが必要に応じて助けてくれる事もある、というデジタルとアナログ世界が融合した緩やかなサービス、というのは非常に面白いと思っています。かつて米ジェネラル・マジック社も果たせなかった、実用的なエージェント・サービスは、こうしたデジタルとアナログの融合から生まれるのではないかと期待している次第です。

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