デジタルとアナログの緩やかな融合を--中野発「デジクマさん」の軌跡(第8回:南一哉) - (page 4)

--今お話を聞いていて思うことは、南さんは昔からカメラ好きで、デジタルカメラでも何でも好きな部分はアナログな精密機械部分だとおっしゃいましたよね。つまり、デジタルとアナログの融合、どちらも大切にしたいというのが南さんにとって昔からの価値観のような気がします。では、今後についてはどのようにお考えですか?

 デジタルガレージグループにきて1年半が経ちました。これまでは、人間の叡智が詰まったブログを検索可能にするという「テクノラティ(Technorati)」や、WiFi無線ネットワークシェアサービスの「フォン (Fon)」等海外ベンチャー企業への投資と、日本市場展開支援に関わってきました。デジタルガレージグループでは、ベンチャー企業を事業育成できる環境とリソースが充実しているので、ネオテニーの頃には余裕と経験が足りず十分に出来なかったインキュベーション・サービスがここなら投資先の方々にも満足いただける形で提供できる、という実感があります。

 最近では、「イートロジー (Etology)」という、ブログ等ロングテールのメディア・パブリッシャーと大手広告主を仲介する広告サービスを開発・提供する会社にも投資を実行しました。この会社はシリコンバレーのフォスターシティに本社がありますが、中国上海に巨大な開発拠点を持っており、非常に先進的で効率的なグローバルサービスを提供していくだろうと期待しています。日本国内では既に、デジタルガレージグループのCGM マーケティング社が、「アドバタフライ」というサービスを、イートロジー社の技術を利用して展開しています。

--仕掛けるということを楽しんでいるというのが伝わってきます。これまでの経験が生かせるスピード感のある会社に巡り会って、「南一哉」というプロダクトがいよいよ始動という感じがします。ところで、インキュベイトという観点からすれば、総合商社やネオテニーでの経験が南さん自身をインキュベイトしたとも言えませんか?

南氏 「やはりデジタルガレージ林CEOやJoiの考え方、スピード感に同調するところが多く、彼らの考えるインターネットのフロンティア的取り組みに対して、私自身も参加して支援して行きたいという強い気持ちがありましたから。転職のタイミングでは、常に全幅の信頼を置ける人たちがいる会社へと、移る決断をして来ました」

 現在の私にとっては、両社での経験は本当に役に立っています。今だから告白しますが、実は、三菱商事の資材部門に所属していた若い頃に一度、会社を辞めようと思ったんですね。ボルネオ島に駐在していた時は、職場環境が奥地で厳しく、同じアパート内で殺人事件が起きたりもしました。一方で、コンピューター関係の仕事をしたいと気持ちも強くありましたから。

 しかし、本当にやりたい仕事が見つかる迄もう少し待て、と強く押しとどめてくれた上司がいて、今思えばあの時点で辞めなくて良かったと思っています。辞めるタイミング、ってあると思うのですが、正しいタイミングで決断をするということが重要だと感じています。

 ネオテニーでは、先ほども言いましたが、ベンチャー育成に必要な全ての基礎を、この会社で学び、志を同じくする良い仲間達と出会う事が出来ました。新産業を育成する三菱商事、小回りの利くベンチャーを育てるネオテニー、両社での体験が、今の自分の原点かもしれません。

--南さんにとっての「辞める/辞めない」という判断で重要なことは何ですか?

 それは、「人」です。今の会社に来たのも、やはりデジタルガレージ 林CEOやJoiの考え方、スピード感に同調するところが多く、彼らの考えるインターネットのフロンティア的取り組みに対して、私自身も参加して支援して行きたいという強い気持ちがありましたから。転職のタイミングでは、常に全幅の信頼を置ける人たちがいる会社へと、移る決断をして来ました。

--伊藤穣一さんとの出会いが、大きなターニングポイントになっているんですね。それでは、最後にいくつか質問させてください。何度も読み返す本やお気に入りの本があれば是非教えてください。

 

 最初の方に述べましたが「ザ・マーケティング」(レジス・マッケンナ著、ダイヤモンド社刊)ですね。原作は「リレーションシップ・マーケティング (Relationship Marketing)」というタイトルですが。

 三菱商事時代に翻訳作業を手伝いつつ学んだこの本の内容こそが、私の人生のフェーズチェンジのきっかけでもありましたから。

--では、南さんが尊敬する、ライフスタイルに多大な影響を及ぼした人はいますか?

 私の曽々祖父、南一郎平(いちろべい)です。時代が江戸から明治に変わった頃に、日本各所で大きな疎水工事が行われたのですが、その主任技術者でした。曽々祖父の故郷、大分県の宇佐地方は田畑の為に水を引くのが困難な岩盤が固い台地だったのですが、私財をなげうって疎水工事をし、後に明治政府の後押しもあって疎水を完成させたという人物です。

 彼はこれにより明治政府に認められ、三大疎水といわれる福島県の安積(あさか)疎水、滋賀県の琵琶湖疎水、栃木県の那須疎水の総監督も務めました。私も先祖のように、「ベンチャービジネス」の世界に必要な各種リソースという水を引ける人物になりたいと常に願っています。

--疎水のスペシャリストですか!今の南さんは、そのご先祖の遺伝子によるところが大きいという気がしてきました。最後に、デジクマさんとしてのデジタルガジェット収集はよく知られている所ですが、その他はまっていることはありますか?

 B級グルメですね。値段が高くて美味しいというのは当然のことで、安くて美味しいお店にこそ価値があると思います。その意味で、我が街、中野には安くて美味しいラーメン屋などのB級グルメ店がたくさんあるのですよ。

--おお!最後にまたまた登場しました「中野」。今度、カメラをチェックしに南さんの原点でもある中野へ行ってみます!

Venture BEAT Project
こだまん(児玉 務)

1997年日本アイ・ビー・エム入社。ベンチャー企業との協業、インターネットプロバイダー市場のマーケティングを経て、2000年よりナスダック・ジャパンに出向し、関東のIT企業および関西地区を担当。帰任後は、IBM Venture Capital Groupの設立メンバーとして参画し、その後退職し米国へ留学。パブリックラジオ局(KPFA)での番組放送の経験を得て帰国後の現在は、「“声”で人々を元気にする」をモットーにラジオDJ、イベント司会、ポッドキャスティングの分野で活動中。「Venture BEAT Project」プランニングメンバー。好きな言葉は「アドベンチャー」。

ブログ:「Edokko in San Francisco 2007

趣味:タップダンス、ビリヤード、会話、旅、スペイン語

特技:アメリカンフットボール、陸上競技100m

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