logo

デジタルとアナログの緩やかな融合を--中野発「デジクマさん」の軌跡(第8回:南一哉)

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

 「ブログというサービスがこれから日本に来ますよ!」と、ある人が私に教えてくれたのが2003年の話。当時はブログを始めようと検索をしても日本のサービスにたどり着けずに、海外のサービスを利用してみた。しかし、日本語対応が遅れていて文字化けに悩まされた覚えがある。

 それから、4年がたち、今ではブログサービスは多くの人に利用され、一つのメディアとして急速に立ち上がって来た。今回登場の南さんは、当時私にブログという存在を教えてくださった冒頭の「ある人」であり、現在、アルファブロガー「デジクマさん」としてさまざまなデジタルガジェットの評価ブログを運営しているガジェット収集家でもある。

 そんなデジクマさんとしての原点と南さんの仕事における考え方について色々と聞いてきました。

※こだまんが下のビデオで本企画の趣旨を説明いたします。

「私がこうなった原点は、中野にあります」

--南さんはブロガー「デジクマさん」としても有名ですが、その原点はどこにあるのかというところから教えていただけますか?昔からデジタル機器が好きだったのでしょうか?

南氏 南一哉(みなみ・かずや)氏:東京都出身。1964年4月18日(発明の日)生まれ。上智大学経済学部経営学科卒。三菱商事(1987〜2000年)、ネオテニー(2000〜2004年)、東京海上キャピタル(2004年)、グーグル(2005年〜2006年)を経てデジタルガレージ/DGインキュベーション(2006年〜現在)。趣味は電子ガジェット収集、スクーターによるツーリング。好きな言葉は不言実行。

 私の家は代々、教師の家系なんですよ。祖父は大学教授でしたし、父親は高校の英語の教師、母親も英語の教師の資格を持っています。

 私が小・中学生の頃は、外国からの交換留学生が家に遊びにくることが結構あって、何となくではあるけれども、外国の人に対しての親しみはありました。とはいっても、海外に初めて行ったのは高校2年。父親がホームステイの引率で親しくなった先があったことで、初めて訪れた米国は、シアトルでした。その頃は、米国の方が日本よりも豊かでしたから、純粋に「アメリカって凄いな」と影響される事も多かったですね。

 では、「デジタル」や「コンピュータ」というキーワードで考えてみると、デジタル機器好きな自分を作り上げたのには、生まれ育った東京の「中野」という土地が関係していると思います。私は、東京の中野区で生まれ、立川や海外に住んだこともありますが、43年間の人生の3分の2は、中野に住んでいます。

--人格形成の原点が中野!その中野が南さんを魅了した理由は何だったんでしょうか?

 中野は、今では秋葉原に次ぐくらい世界的に有名なオタク文化の中心地なんですよ。中野にはご存知、中野ブロードウェイがあり、この中には中古漫画本やトレーディングカードショップに、ガチャガチャ人形の専門店やアニメグッズ、そのほかにも、オタク的なものが沢山集まっているんです。

--確かに、テレビなどで紹介されるレア物商品の提供先が、中野の**店というケース結構見かけますね。

 そうでしょう。中央線沿線の新宿から三鷹くらいまでは、関東大震災が起きた時に下町の人達が移り住んだ場所なんです。ですから、東京の西に位置しながら下町文化が色濃く残っていてコミュニティ要素が強い。中野から三鷹、武蔵境などは、駅前の様子が非常に似ていると思いませんか?

 都会というよりは人と人が濃く、近い感じ。そういう下町文化とオタク文化が非常に合うんですよね。最近では海外に、中野が報道されたりもしているんですよ。ところで、こんな話でいいのですか?

  

--なんとなく、中野ブロードウェイが原点という気がしてきましたから、大丈夫です。そこに南さんを魅了する何かがあったわけですよね?

 つまり、そういうオタク文化の中心で育つと何かしらの専門家になってしまう傾向があるということが言いたいんです。

 例えば、私の弟は現在世界的に有名なロボット・アニメーションの監督さんの付き人をやっていて、趣味は超合金集めです(笑)。中野には大きく分けて、漫画・玩具系の「まんだらけ文化」と、中古機械系の「フジヤカメラ文化」と2つの大きな流れがあって、弟は「まんだらけ文化」に近く、そして私はどちらかというと「フジヤカメラ文化」の方なんです。知る人ぞ知る趣味系中古カメラ専門店フジヤカメラには中学生の頃から通っていまして、アナログからデジタルへの移り変わりをカメラを通じて見てきました。たまに秋葉原に出かけて、部品を買ってハンダごてでラジオを組み立てたりもしました。

 パーソナル・コンピュータの可能性については、高校の頃から身近に感じる様になりましたね。NECの「PC-8001」を使い始めた時に、これからはコンピュータの時代だと考えるようになりました。まだ記憶装置がカセットテープだった頃の話ではありますが。

--コンピュータに触れたのが高校時代とのことですが、その頃になるとある程度、将来のビジョンを考えるようになりますよね?

 私はコンピュータが好きだったので、最初は理系を目指して受験勉強をしていたんですが、どうしても得意分野が文系だったので、最終的に文系を選び、大学は上智大学、経済学部へ。パソコンはあくまでも趣味で使っていましたね。

 当時は、PCとともに(フジヤカメラ文化の影響で)アナログのカメラが大好きだったんですね。その頃は、PCとカメラは全く別世界の物だと考えていましたけれど、最近、それが融合して来たので更に面白くなってきました。カメラに関しては、「撮る」という行為も好きですが、精密機器であるカメラのハードウェアそのものを理解したいという気持ちが強いですね。

--ちなみに、昔使っていたカメラというのは?

 キャノンの「AE-1」とか「A-1」といった当時は最新技術が投入されていたアナログ一眼レフカメラですね。今使っているのは、キャノンの「PowerShot G9」という、デジタル技術の塊の様なコンパクトカメラですが。そうそう、もう一つフジヤカメラから影響を受けたことで今の私を支えているのが「中古品売買ノウハウ」(笑)です。 ブログで色々な評価をしているので、沢山のカメラを買って溜め込んでいると思われがちですが、私にとってデジタル技術ベースの製品というのはいわば「流動資産」なんです。1年経つと、同じ性能以上の物が安くでてきて、1年以上持っているとその製品は陳腐化してしまいます。

 だから、買って使い込んで、しばらくすると中古専門店で買い取ってもらい、また先端技術の新製品を買う、という永続的な中古リサイクルのノウハウが必要なんですよ(笑)。デジタル製品世界での生き方というのを、中野の中古カメラ専門店で学んで来たということですかね(笑)。

--上智大学を選んだ理由は何でしたか?

 中央線沿線にこだわりがありまして(笑)。上智に入ったのも、中央線沿線だったからというのもあったんでしょうね。

 趣味的な話ばかりが続いてしまいましたが、大学時代はサッカーに明け暮れていましたよ。コンピュータという視点では、大学にいた1983年から1986年というのは、完全にプリ・インターネット時代で、PCはスタンドアローンで使っていました。コンピュータの授業もまだフォートランで、本当に紙束のバッチ処理利用のプログラミング授業を行っていました(笑)。コンピュータに傾倒するよりは、上智大学は外国の方も多かったので、グローバルな考え方に触れる、ということの方が刺激的でしたね。

-PR-企画特集