それはそうと、自分の方がテクノロジによって世界を救う適切なビジョンを持っていると2つの組織がしのぎを削っているのを見るといつでも心が躍る。しかし、この場合はもちろん、テクノロジによって世界を救うことが可能であるということが前提になっている。
貧困国で学んでいる子供たちを外部世界に接続するのが好ましくないと考える人はほとんどいないだろうが、子供たちは、こうしたニーズのために特別に設計され、オープンソースソフトウェアを走らせてMicrosoftの独占から解放された専用のノートPCを使用するべきなのだろうか。それとも家電量販店で買えるのと同じテクノロジをより手ごろな価格で手にするべきなのだろうか。あるいは、このような時間や労力はこうした国々の技術インフラに投入した方が有効に活用できるのだろうか。
Negroponte氏は、自分は「使命感」をもって非営利プロジェクトを運営しているのだから、発展途上世界を支配する資格があり、XOノートPCはデジタルデバイドを橋渡しできる唯一の手段なのだと考えているようだ。しかし、言うまでもなくこれは愚かな考えである。製品を改善し、時間の経過とともにコストを引き下げる原動力となるのは企業間の競争であり、Intelやその他の企業が急成長している発展途上国のパソコン需要を黙って見過ごしてくれるだろうと期待するのはあまりにも世間知らずと言わざるを得ない。
しかし、筆者はThe Inquirerに掲載されているCharlie Demerjian氏の意見に賛同する。この口論ではIntelの旗色が悪い。Negroponte氏のプロジェクトは善意から出たものであり、XOはそれほどひどい製品ではない。同氏がビジネスベンチャーを運営する方法を本当に理解しているように見えないのは確かだし、自分が救世主であるかのような思い違いをしているのも確かだが、貧困にあえぐ子供たちの生活を向上させようと真剣に努力しているのは事実である。
発展途上世界にはノートPCよりも必要なものがある。OLPCの関係者は貧しい都市や町にノートPCを販売する神から授かった権利を持っているわけではないし、Intelも非営利プロジェクトを非難することによって自社の立場を大々的にPRできているわけでもない。
あくまで想像だが、ひょっとすると、そうした発展途上国の進取の気性に富んだ技術者が現地の人々のニーズにぴったりと合ったノートPCの独自のアイデアを実際に考え出す日が来るかもしれない。
そうした場合にIntelやOLPCはどうするつもりなのだろうか。たとえばモンゴル国内に登場した初のノートPCの設計者をけなすのだろうか。たぶん、発展途上国が技術革命に加わるのを支援する最善の方法は、ケンブリッジやサンタクララのような高い場所から見下ろして「心配するな、われわれは何でも知っている」と言う代わりに、彼ら自身が自分たちの製品を(単に組み立てるのではなく)設計する方法を教えてやることである。
この記事は海外CNET Networks発のニュースをシーネットネットワークスジャパン編集部が日本向けに編集したものです。海外CNET Networksの記事へ
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