1999年頃のネットバブル時代、数々の紙面に登場した本間毅氏。その頃は、学生起業家の若きアントレプレナーとして、また、ビットバレーのけん引役としても活躍していた。
あれから8年。自らが起業したイエルネットをたたみ、日本を代表する大企業であるソニーに身を置き、さまざまな新サービスの開発に従事している。
「大企業でもベンチャーでも、大事なことは世の中の役に立つことができるかどうか」と語る同社コーポレートディベロップメント部ネットメディア開発室チーフプロデューサーの本間氏に、実体験からくる起業家として働くことと大企業で働くことの相違点や共通点、今だから語れる当時の話を教えてもらいます。
※こだまんが下のビデオで本企画の趣旨を説明いたします。
僕の生まれは鳥取で、19歳まで鳥取で育ちました。鳥取での生活は話として面白いものではないのですが、子供の頃は絵やプラモデルといった“創る・作る”系が好きだったんです。
性格的には目立ちたがりでしたね。クラスでいつも発言をして、父兄参観日にはここぞとばかりに手を挙げるといった具合です。運動はめちゃくちゃ苦手でしたが、文科系に関しては勝ち気だったと思います。
父方の祖父が京都出身で建築家。京都では十何代続いた宮大工の家系で、父の代に鳥取へ。一方、母方の祖父は、島根の出身でこちらも建築関係の商売をしていました。そして僕の父はサラリーマン。だから、現場を見たわけではありませんが、小さいころからサラリーマンと商売人、そして経営者を自ずと比較して育つ形になりました。
それぞれの人生を見て行く中で学ぶことは多かったですね。積極的で何かを作るということが好きな幼少時代に、サラリーマンの父とクリエイティブな建築家である祖父を見て、自分がどうなりたいかは漠然とですが見えていましたね。
もう一つ大きかったのは、小学校5年(1985年)の時に、初の海外旅行でヨーロッパに行ったことです。統合前の西ドイツとベルギー、オーストリアなどを巡る旅。短期間ではありましたが「世の中にはさまざまなモノと価値観がある」という気づきは、僕が最近強く思っている「たくさんある物事や価値観をなるべく広く持とう」という「多様性の尊重」に通ずるものがあるんじゃないかと思います。
先ほど鳥取での生活という話がありましたが、僕にとっては退屈なものでした。鳥取砂丘はあるけれど、動物園もないし水族館もありません。これは個人的な意見ですが、文化に関しては非常に発達が遅れていて、風土としてはコンサバティブで、出る杭は打たれるという風潮でした。その中で窮屈に感じていたというのが正直な気持ちでしょうか。刺激に飢えていましたね。
進学に関しては、特に「東京で」というわけではなく、関西で受けた大学に落ちて、東京の大学に受かっただけのことなんです(笑)
自分に特出した能力があるわけでありませんが、一つ誇れるのは「自分に嘘をつかないこと」です。自分の価値観における好きか嫌いかの判断はしっかりできたんです。前例がないから判断がつかないというのではなくて、直感的に「すごい!」と感じたものは素直に「すごい!」と思えたという意味です。
大学に入ったあるとき、自宅からダイアルアップでインターネットに接続して、「これは面白い!」と思いました。その矢先に、起業している学生がいるという新聞記事を目にしたんです。悔しかったですねー。自分は何故できないのかと。経営者になりたいと思ってはいるのに、何かを生み出すということで既に先行している人がいるという現実が悔しかったんですね。しかも、同年代でしたから。
それから一気にビジネスに対する情熱が募り、今からインターネット分野でビジネスをすれば、早く始めた分だけアドバンテージになるなと考えました。1994年当時はまだインターネットに関して、大学の先生以外にプロがいなかったですからね。あとは、始めるだけでした。
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