「私にとって、何かを設計してそれを人に見せることは、話題のきっかけを提供してくれるものだった。また、自分の強みを誇りに感じることもできた」と述べる。
Wozniak氏にそんなパワーを与えてくれたもの、それが数学だったという。
「今でもマジックのようなトリックを披露したときに相手に対して言うのは、自分が数学者であってマジシャンではないということだ」と例を挙げて説明する。
つまり、マジシャンが種明かしを決してしないのに対し、Wozniak氏にとってはトリックの仕組みを説明することも楽しみの1つなのだという。
さらに、今でこそユビキタス化したコンピュータであるが、いつもそうであったわけではないと振り返る。1960年代から1970年代にかけてコンピューティングにかけた情熱が、自分専用のコンピュータを手にする必要性を確かなものにしたという。
Wozniak氏は、いつの日か自分用のコンピュータを手にするつもりだと父親に話したところ、コンピュータの値段は家と同じぐらい高いんだぞと言われ、「それなら僕はアパート暮らしで我慢する」と答えたという。
会場が笑いに包まれる中、Wozniak氏は演説を続け、個人がコンピュータを所有するということが経済的に不可能に近かった時代に、それを実現することを心に決めたことを振り返った。
結局、その決意のおかげでWozniak氏がApple Computerを創設し、富を得ることになったことは周知の事実である。
Wozniak氏は、かの有名なHomebrew Computer Clubの初期のころ、人々がコンピュータを自らプログラミングするという、当時は聞いたこともなかったことが近い将来に実現するであろうという噂が広まったことを振り返り、そういった考えこそがMaker Faireの成功を支える何千人もの参加者のやる気を今も高め続けていると語った。
「コンピュータプログラムの作り方を知っている者が、企業において最高経営責任者(CEO)より重要な役割を果たすようになるというのは、当時から言われていたことである」
この記事は海外CNET Networks発のニュースを編集部が日本向けに編集したものです。 海外CNET Networksの記事へ
CNET Japanの記事を毎朝メールでまとめ読み(無料)
ZDNET×マイクロソフトが贈る特別企画
今、必要な戦略的セキュリティとガバナンス
ものづくりの革新と社会課題の解決
ニコンが描く「人と機械が共創する社会」