ライブドア遺伝子の行方--証言「あの時の社内は……」 - (page 2)

六本木ヒルズへの移転で変わった会社の空気

 事件の背景については、以前このCNET Japanで「ライブドア暴走」の道程--奈落への転回点は2004年初頭」という記事に書いた。繰り返し述べれば、ライブドアは当初の主力事業だったBtoBのウェブ制作、ネットワーク構築事業が成長の踊り場を迎えてしまったため、2004年初頭ごろからBtoCのポータルビジネスへと大きく舵を切った。ところがポータルは収益を高めるのがきわめて難しく、この結果、ファイナンス事業へと依拠せざるをえないいびつな構造に陥ってしまった。これが最終的に同事業部を統括していた宮内亮治取締役の暴走を招き、社内の事業部間のバランスも崩すことになって、粉飾決算へと陥る結果となったのである。

 ポータルの事業部を統轄していた伊地知さんは、私の「ポータルの収益が上がらないことに、堀江前社長は焦っていたのでは?」という質問にこう答えている。「(焦りは)あったでしょうね。私はこれでもずいぶん急成長させてるつもりだったんですが、彼は『もっと早くできるだろう』って」

 伊地知さんが「そんなにすぐには収益力は上がらないですよ」と説明すると、堀江前社長は「どうして? だって営業がんばれば取れるでしょう」と言って聞かなかったという。自分の頭の中にはポータルを成長させる数式ができあがっていて、その数式通りに進めればすぐに成果が出るはずであって、時間がかかるというのはおかしいというのが堀江的ロジックだった。とにかくせっかちだったのである。

 この年の春、ライブドアは渋谷・並木橋近くにあったモリモビルから移転し、六本木ヒルズ・森タワー38階に入居した。また夏にはプロ野球の大阪近鉄バファローズ買収に名乗りを上げ、この時期から堀江社長ともども一気に知名度を上げていくことになる。そしてまた知名度が上がったことはイコール、ライブドアとホリエモンという記号の消費が始まる号砲でもあった。インターネット業界で知る人ぞ知るベンチャー企業オン・ザ・エッヂから、ヒルズ族の象徴である若者企業の旗手ライブドアへと切り替わったのである。

 羽田氏は、インタビューの中で「プロ野球に進出しようとした後、ライブドアは別の会社になってしまったような感じがした」と話している。「それまではどちらかというと玄人好みの渋い技術で、インターネットのビジネスをやってる会社だった。僕はそうイメージしていたし、他の社員、あるいは社外の人たちからもそう思われていたと思うんです。でもプロ野球によって一気に知名度が上がって、コンシューマーカンパニーになった。それで会社も社長も、ある意味消費される存在になっちゃったと思うんですよね」

 ゼロスタートのインタビューで、山崎さんは何度も次のように述懐した。

 「当時、自分は外にいた(筆者註:山崎氏はこの時期、ライブドアを離れて渡米している)のでそう思ったのかもしれないんだけれど、六本木ヒルズに移転したことで会社の雰囲気が変わってしまった。ハングリーさがなくなったように感じたんですよね」

 私が「大企業化したということですか?」と聞くと、彼は少し考えてこう答えたのだった。

 「いや、イケイケ感というか、勢いがなくなったわけではないんです。そうじゃなくて、以前はその勢いの中にハングリーさのようなものがあったと思うんだけど、ヒルズに移ってそれが希薄になった」

 モリモビルのころは社内の風通しも良く、ファイナンス事業部も社内の1セクションという位置づけ以上のものはなかった。ところが六本木ヒルズ移転後、同事業部は秘密保持の観点から独立したスペースを割り当てられ、社員であっても部外者には立ち入りにくい聖域となっていく。いわば“宮内独立王国”のような様相を見せるようになっていった。こうした構造変換を「大企業化」と呼ぶべきなのかどうかはわからないが、しかし事件の重要な要因となったのは間違いない。

 もちろん、この強制捜査については地検の恣意的な意志というのも否定はできない。だが一方で、ライブドアというきわめてナイーブな企業が、会社としての「間尺」を超えて急激に拡大してしまった結果、コンプライアンスやガバナンスが追いつかなかったという要因があったのではないかと思われる。

「想定外」だった?--Web 2.0の登場

 そして、私の予測が完全に外れたもうひとつの要因は、Web 2.0というパラダイムの転換だった。この新たな潮流が突如として2005年後半以降、日本のネット業界に流れ込み、あっという間に業界を席巻してしまったのである。もちろんWeb 2.0というパラダイムは突然、アメリカから黒船のようにやってきたわけではない。そのパラダイムはインターネットそのものに内在していた可能性で、1990年代後半からその基盤を徐々に醸成させていた(この点については、私は「次世代ウェブ」という光文社新書の本に書いた)。だが2000年代前半にはポータルビジネスの成長があまりにも激しかったため、その可能性に目を向ける余裕もほとんどないまま、ライブドアや楽天、ヤフーの動向にすっかり目を奪われてしまっていたのだった。

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