幹部らに対する公判も始まり、ライブドアの粉飾決算をめぐる事件もいよいよ大詰めにさしかかっている。このライブドア事件は新興市場の株価を急落させるなど、盛り上がりを見せていたベンチャー市場に影を落としたものの、堀江貴文が提示した「起業」のイメージはすべてが悪いものではなかったように思う。
今回はいつもの起業家に焦点をあてたインタビューとは趣向を変え、この事件の舞台裏で活躍した一人の人物に焦点をあてたい。と言っても、違法行為に直接関与をしていた人物ではない。ライブドアが粉飾決算を行ったとされる時期と前後してライブドアに関わりだし、最終的には危うげなライブドアの取引を更正させた会計士の話である。
その人――田中慎一氏は、渦中のライブドアの会計監査を行う港陽監査法人の代表社員(パートナー)を務め、事件の焦点となっている2004年9月期以降、ライブドアの監査責任者として関与している。また、最近では、ライブドア事件の裏側を描いた『ライブドア監査人の告白』(ダイヤモンド社刊)を上梓した。
そこで今回は、自らも一度は起業家を目指したという田中氏に、ライブドアの一部始終と会計士の倫理、コーポレートガバナンス、そして起業家のあり方について話を聞いた。
小池:田中さんがライブドアとかかわったのはいつ頃からどんな経緯で始まったんですか。
田中:私はもともと2004年7月にパートナーとして今の港陽監査法人(当時は神奈川監査法人)に参画しました。その後、その中でもベンチャーのお客さんに特化することをより明確にして、2004年秋ぐらいからお客さんのサポートをするためにベンチャーサポート部と銘打ったかたちでやっています。ライブドアとの実質的な出会いは2004年11月です。
そして2005年9月期の第2四半期、つまり中間期から、ライブドアの監査責任者(監査報告書に最後に署名をすることで監査の最終責任を負う人)という立場になっています。
小池:港陽監査法人は田中さんが入った当時からライブドアの監査をしていたんですか?
田中:そうですね。そもそも2000年にオン・ザ・エッヂ(現ライブドア)が上場した頃からうちが監査をやっているんです。
私が港陽監査法人に入った当初は、ライブドアみたいな大きな会社の監査をしたいという気持ちはなかったんです。日本のベンチャー企業は2000年のITバブルでしぼみましたが、2004年頃にまた盛り上がりそうな時期になったので、私自身はそういった未上場のベンチャー企業の経営者を応援したい思いがありました。それをやるために入ったというのが正直なところです。
いくつかIPOを準備するお客さんもあったので、そのサポートをしたいということで、港陽監査法人に入ってベンチャーサポート部を立ち上げて、本格的に内外に示していくという感じでやっていました。
小池:久野(ひさの)さん※1との出会いがあって、そういうベンチャー企業のサポートをしたいということですね。
※1. 元港陽監査法人代表社員の久野太辰氏。ライブドアの粉飾決算に関する証券取引法違反の罪で起訴。
田中:そうですね。
小池:それで、ライブドアで疑問に思うような取引があったのですね。何があったんですか?
田中:期末付近になって、比較的金額の大きな売り上げの取引があったんです。期末の土壇場にドカッと計上するので、別にそれがあってもおかしくないんですが、少なくともすごく注意しなければいけないと思うわけですよね。
実は、これはうちのスタッフが気づいたんです。あれは2004年11月2日ですが、私はたまたまライブドアの子会社が上場するというIPOのプロジェクトに関わっていました。
小池:ターボリナックスの監査をやっていたんですね。
田中:そうです。私は同社のIPOの準備の打ち合わせのために行っていて、それが終わったので、(六本木ヒルズ森タワー)38階の別の会議室にライブドアの監査チームが詰めているのを知っていたので、彼らがどうしているかと思って様子を見に行ったんです。
そうしたら、その中のスタッフが先ほど申し上げたようなことがあって「どうもクサい」と。話の内容からすると確かに疑わしいかもしれないと思いました。ただ、ライブドアの当時の監査責任者であった久野にすでに報告しているから対応は大丈夫ですと言っていたので、私はその場をすぐに立ち去りました。
小池:その当時はターボリナックスを担当していて、ライブドアの担当ではなかったんですね?
田中:もともとは担当していませんでした。私はただライブドアの監査チームのスタッフの様子を見に行ったんですよね。
小池:そのぐらいからライブドアとの関係が始まったわけ?
田中:そうです。
小池:そこが運のつきなんだな。
田中:その日の夜に久野から「ライブドアでこういうのがあった。すごく怪しいと思う」とメールが来たんですよ。彼はスタッフからこういう問題があるという報告を受けた直後に、宮内さん※2に対して「こういう取引は認められないので消してください」とメールで送っているんです。そのメールを送ったら、宮内さんからすぐさま「これは取引の実態があって問題がないから、消すなんてできません」と返信が来ているわけです。久野はすごく困って「どうしましょうか」というメールを私に送ってきたんです。
私はもともとライブドアの監査チームに入っていないので、「どうしましょうか」と言われて、正直私も困りました。ただ、彼は手をこまねいている様子でした。
※2 ライブドア前取締役の宮内亮治氏。
小池:その要因としては、港陽監査法人がライブドアおよびそのグループへの依存度が高かったこともありますか?
田中:まったく否定はできないと思いますが、久野自身はお金にグリーディー(どん欲)な人間でもないので、必ずしもそれが主ではないですね。やはり監査人として強い意志や気持ちで、是々非々な態度で宮内さんに対して臨むことができなかったのが要因としてあると思いますね。
一言で言うと、宮内さんのことが怖いんですよ。宮内さんは知恵もいろいろつけているし理論武装もできているので、宮内さんと対決するとなかなか勝てないんですよね。そこに弱さがあったということですね。
私からすれば、「別に、そんなのはお互いに一生懸命やっているのだから、とことんやればいいじゃないか」と思うのですが、なかなかそういう気持ちで臨むことができなかったということじゃないでしょうか。
小池:一応、そういう過程の中でいろいろ見てみたら、これはクロだと。
田中:私がその時すぐに久野に指示したのは、「これは疑わしいのは確かだが、仮にクロだとしても、今すぐ動かないとその尻尾をつかむことができない。だから今すぐ動いてください」と言ったんです。向こうに時間を与えるといろいろ用意してくるわけですよ。
「動け」というのは「各事業部の担当者ないし役員を呼んで、とにかく聞き出してください」ということですが、翌週になってやっと担当者を呼んでインタビューをやりました。それは私も担ぎ出されたんですが、やっぱり1週間間空いてしまったので完全に口裏を合わせてきたんです。だから、われわれとしては粉飾であるという尻尾をつかみ損ねたんですよね。
このような取引についてシロ・クロはっきりさせることなど会計士にはできるわけないから、私は終始一貫してずっと「(監査人を)降りろ、逃げろ」と言っていたんです。それは初めに第一報を受けたときも「降りろ」と言っているし、インタビューをやった後も「降りろ」と言っているんです。
小池:実際に、田中さんがライブドアの監査責任者としてアサインされたのはいつからですか。
田中:その出来事があった半年後ですね。そういう場面があったのが2004年11月なんですよ。私が本格的にアサインされたのは2005年4月からなんですよね。
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