Jobs氏のガレージは「みんなと会うにはとても居心地がよく暖かい場所だった」とWozniak氏は言う。
Wigginton氏が当時のことで覚えているのは、今ではコンピュータ業界で著名となった人たちの多くがHomebrew Computer Clubに出入りしていたことだ。彼らが出入りしていたのはコンピュータを使うためだった。
「誰も自分のコンピュータを買う余裕はなかった」とWigginton氏は言う。「自分専用のコンピュータを持つのは無理だと思われていたなんて、今となっては驚きだ」
一方、Espinosa氏は、自分が他のコンピュータ企業ではなくAppleで働くことにした理由について、次のような冗談を言った。
「Scott Computerは、通うには遠すぎた。当時は自転車しか持っていなかったからね。Appleの方がずっと近くて、私にとってはとても都合がよかった」
また、Espinosa氏によると、AppleがApple IIの開発を始めた頃に開発チームは自前の建物を使うようになったが、そこには電話以外の家具や備品が一切なかったという。
Espinosa氏は、長距離電話をただで思うままにかけられる「ブルーボックス」をWozniak氏が作った有名な話をほのめかしながら、「電話とSteve Wozniak氏のほかには何もないビルにいたら、おわかりだろうけれど、楽しいことが起こるんだ」と語った。
しかし、その建物に敷かれていたカーペットは静電気を発生させやすく、誰かがカーペットの上を歩いてきて中身がむき出しのApple IIに触ると、「キーボードのチップがダメになった」という。
「そんなわけで、キーボードのチップの交換にとんでもなく時間がかかっていた」とEspinosa氏は語った。
AppleをJobs氏と共同で設立する前、Wozniak氏はHewlett-Packard(HP)で働いていた。Wozniak氏は、自分がHPの持つノウハウから不当に利益を得ているとしてHPから訴えられないようにするために、HPの弁護士を通してHPのすべての部門でApple Iの計画を提案してみたという。しかし、どの部門もこの提案を採用しなかった。
HPはこのマシンに興味を示したが、Wozniak氏によれば、最終的にHPはそのマシンがHPのコンピュータとして売り出すには完成度が低いことを懸念し、販売しないことにしたという。もっとも、もしHPがそのマシンを発売したとしても、商業的に失敗し、パーソナルコンピュータのビジネスはかなり遅れることになっただろう、とWozniak氏は後でつけ加えた。
いまやAppleは、世界で最も重要なハイテク企業の1つになった。Wozniak氏がAppleを離れてから長い年月が過ぎているが、Appleを特徴づけているのはやはりデザインのすばらしさだ。Wozniak氏は、この伝統の源に自身がいたことを誇りに思っている。
「最初の(パーソナル)コンピュータを作った設計者として認めてもらいたいとは思っていない。ただ、初めてすぐれたコンピュータを作り、コンピュータを魅力的なものにできることを世に知らせた設計者として認められたい」と、Wozniak氏は語った。
この記事は海外CNET Networks発のニュースを編集部が日本向けに編集したものです。海外CNET Networksの記事へ
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