「レッシグの思想や哲学を大手メディア企業が受け入れた」ってほんとう? - (page 2)

坂和敏(編集部)2006年10月26日 23時09分

 このことは、例えばユーザーが著作権付きの楽曲に合わせて歌うところを撮影したエアー・ボーカルのビデオをYouTubeに投稿した場合に、それをレコード会社側が気に入らなければ、そのビデオは人目に触れる機会を得られないということであり、またうまく公開された場合にもそれに付帯する広告から利益を得られるのはYouTubeとそしてレコード会社側でしかない、ということを意味するのだろう。また、現時点では「今後そういう仕組みが実装される」との予定しかなく、その仕組みや対価の利益配分がどうなるかは実装されてみなければわからない。

 いずれにせよ、Google-YouTubeとメディア企業との提携の動機と、Larry LessigがCreative Commonsなどの活動を通じて問題提起してきたことが無縁である--少なくともLessigが「Web 2.0の倫理」のエッセイで伝えようとしているような意味では関係がないことは明らかに思える。以前、Wired誌に掲載された記事「Lawrence Lessig's Supreme Showdown」などに記されているように、同氏のねらいのひとつは「著作権保有者に過度の権利を認めることによる弊害を防ぎ、新しい創造(イノベーション)が行われやすくすること」である。そして、Creative Commonsの目的は(そのような過度の権利を認め、イノベーションを窒息させるような)従来からの著作権とは異なる、より柔軟なもう一つの著作権へのアプローチ、ライセンスのカタチをつくりだすことにある、といえるだろう。

 ましてやLessigは「Web 2.0の倫理」のなかで、「本物の共有」と「偽物の共有」を区別しており、「本物の共有サイトは、そこで提供されるコンテンツに対する究極的なコントロールを行使しようとはしない」(A "true sharing" site doesn't try to exercise ultimate control over the content it serves. It permits, in other words, content to move as users choose.)と定義している。ちなみに、「偽物」については「共有があるかのようにみせかけるツールがユーザーに提供されているが、実際にはどのツールも特定のサイトにトラフィックおよび(コンテンツに関する)コントロールを戻すものだ」(A "fake sharing" site, by contrast, gives you tools to make seem as if there's sharing, but in fact, all the tools drive traffic and control back to a single site.)という説明がある。

 さらに冒頭で引用した箇所に続く一段落:

 その代わり、レコード会社やテレビ局はYouTubeに投下される広告費の一部を収益として手に入れることになりました。ライセンス料ではなく、広告費で稼ぐ新しい時代のビジネスモデルが始まりました。

についても、全体の文脈からすれば、あまりに簡単すぎる書き方に思えてならない。

 「(マスメディアとしての)テレビ事業はそもそも大半が広告費で成立してきたのではなかったか」といえば揚げ足取りになるので、ここでは触れない。だが、それとは別に、以前からある「緊張関係」が存在していることは指摘したい。それは、映画、音楽、テレビ業界を中心としたコンテンツホルダー(オンラインのニュースメディアも含めて)と、GoogleやYouTubeが代表するインターミディアリー(もしくは「アグリゲーター」)との間にある、互いの役割についての認識の食い違いや利益の分配をめぐる「緊張関係」だ。この「緊張関係」がなければ、ニュース通信社のAFPがGoogleを訴えたり、ベルギーの裁判所がGoogleに対して、「同国内のニュースサイトで公開された記事の見出しをGoogleサイトに勝手に掲載してはならない」といった判決を出すようなことは起こらない。そうしてまた、Googleにコンテンツを提供することから得られる「広告費」が、そのコストを十分にまかなえ、利益さえ得られるような額になるとの保証があれば、そもそもメディア企業あるいは個々の著作者がGoogleの動きに反対するようなとも起こらないだろう・・・。「YouTubeの活動自体はとはたしかに合法かもしれない。だが、それが『倫理的かどうか』はまた別の問題」と言い換えられようか。

 そうした点も考え合わせると、いまの私には以下にあげるNicholas Carrの言葉も確かに一理あると思え、「ライセンス料ではなく、広告費で稼ぐ新しい時代のビジネスモデルが始まりました」と状況を楽観的にとらえることは難しい(なお、以下の文章は、Lessigの考えを読んだCarrが、それを自分なりに解釈し言い換えたものであり、Lessigの真意とはかなり開きがある。前述した通り、このCarrの意見とそれに対するLessigの反論については別の機会に紹介する)

 「YouTubeは詐欺師であり、同社は『Webの倫理』を尊重していない」(YouTube is an imposter. It has failed "to respect the ethics of the web.")
 「Web 2.0の経済システムは、解放のシステムというよりは搾取のシステムである、ということが明らかになった。そもそも意図したことではないかもしれないが、実質的にはそうなっている、ということが。(コンテンツの)生産手段を大衆の手にもたらしたものの、彼らの生産した成果をめぐる所有権を大衆に手渡さないことで、Web 2.0は信じられないほど効率的なメカニズムを提供する。このメカニズムは、非常に多くの人々が無償で提供する労働から得られる経済的価値を収穫し、それをごくごく少数の人々の手にもたらす」(Web 2.0's economic system has turned out to be, in effect if not intent, a system of exploitation rather than a system of emancipation. By putting the means of production into the hands of the masses but withholding from those same masses any ownership over the product of their work, Web 2.0 provides an incredibly efficient mechanism to harvest the economic value of the free labor provided by the very, very many and concentrate it into the hands of the very, very few.)

CNET Japanの記事を毎朝メールでまとめ読み(無料)

-PR-企画特集

このサイトでは、利用状況の把握や広告配信などのために、Cookieなどを使用してアクセスデータを取得・利用しています。 これ以降ページを遷移した場合、Cookieなどの設定や使用に同意したことになります。
Cookieなどの設定や使用の詳細、オプトアウトについては詳細をご覧ください。
[ 閉じる ]