グーグルのオファーを断り、10億ドルをつかみそこねた男の話

坂和敏(編集部)2006年10月18日 22時12分
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 あのGoogleから「あなたの経営する事業を3000万ドルで売ってください」といわれたとしたら・・・読者のみなさんはどうするだろうか?

 ソーシャルネットワーキングサービス(SNS)の先駆けとされるFriendsterの「失敗」に関して、New York Timesに面白い話が出ていた。画期的なアイデア、幸先のいいスタート、シリコンバレーを代表するベンチャーキャピタリスト(VC)からの援助、すぐれた実績を持つ人材などの好条件に恵まれながら、FriendsterがMySpaceやYouTubeに比肩する成功例になれなかったのはなぜか?この「Wallflower at the Web Party」という記事には、そんな疑問を解き明かすためのヒントが数多く盛り込まれていると思える。

幸先のよいスタートから、一躍スターダムに

 Friendsterが生まれたのは2002年。NetscapeのエンジニアだったJonathan Abramsという人物が、もともとは失恋の痛手にバネにして、出会い系サービスをつくるという着想を得て始めたものだったという。Friendsterの創業時にシードマネーの一部を提供したMark J. Pincusという人物が、「簡単にいうと、Jonathanは女の子と知り合いたかったんだ。・・・友達のアドレスブックをブラウズして、ルックスの良い女の子を見つける手段としてFriendsterを始めたと、Jonathanが言うのを聞いたことがある」とコメントしているのが面白い。

 実際にサービスが始まったのは2003年3月だったが、Friendsterはその後急激にユーザー数を増やしていく。ヴァイラル(口伝え)の力にうまく乗っかったおかげで、マーケティングにはお金をまったく使わなかったにもかかわらず、ユーザー数は約半年で300万人に達した。Time、Esquire、Vanity Fair、 Entertainment Weekly、US Weeklyといった有力な新聞・雑誌がFriendsterのことを取り上げ、創業者のAbramsは有名なテレビのトーク番組にまでゲスト出演した(この出演後、Abramsは「Yahoo!の2人の創業者だって、まだ深夜のトーク番組に出たことはない」と自慢していたという)。

 Abramsと長い付き合いのある友人で、Friendsterで一緒に働いていたこともあるLarissa Leという人物は、当時のAbramsについて「非常に尊大になることもある、シリコンバレーのエンジニアの典型」(“He’s your typical engineer from the Valley who can come off as very arrogant”)と評している。この頃30代前半だったAbramsは一躍シリコンバレーの有名人になり、いろいろなパーティによく顔を出していたが、そんな彼にはいつも驚くほど魅力的な女性が同伴していた("... with a strikingly attractive woman on each arm"とあるから、普通に考えばそんな女性が2人も!ということになろうか)。

 Googleが先述のようなオファーをしたのも、ちょうどこの頃のことだった。このオファーには、3000万ドルの評価という点のほかにも、ある特別な魅力があった。それは、自分のつくったサービスが何千万もの人々の目に触れるという可能性だ(金銭面についていえば、Googleがこの後2004年に株式を公開し、その株価がわずかな間に4倍以上に跳ね上がったことから、仮にAbramsがこの時オファーを受け入れてGoogle株を手にしていれば、いまでは10億ドルを超える資産の持ち主になっている計算になるそうだ)。

 そうした魅力的なオファーにもかかわらず、結局AbramsはFriendsterをGoogleに売却しなかったのだが、実はこの選択には次のような事情があったという。

 Kleiner Perkins Caufield & Byers(KPCB)のJohn Doerrをはじめとする、シリコンバレーのVCが、Googleへの売却を思いとどまらせるべく、「株式の一部と引き替えに資金を提供し、また援助もするから、Friendsterを数億ドルもの価値を持つ有力オンラインサービスにしていこう」とAbramsに働きかけた。「Yahooの創業者らもAOLからのオファーを断ったから、後に(株式公開して)成功した。Microsoftのオファーを断ったGoogleにしても同様。オレたちが面倒を見るから、でっかい会社にしよう」といったところだろう。そして、Abramsのほうもあまり逡巡せずに「独自路線」を選択する決断を下した。

オールスターチームの誕生と、思わぬ落とし穴

 こうして、Friendsterにそうそうたる顔ぶれが集まった。同社の取締役会には、前述したKPCBのJohn Doerr(Google、Netscape、Amazon.comなどに投資)やeBayを発掘したBenchmark CapitalのBob Kagle、それに90年代後半にYahooのCEOを務めていたTim Koogleなどが名を連ね、またPayPalの共同創業者Peter Thielも資金を提供。そして、これらの大物たちが優れた実績や才能を持つ人材を集めてきた。

 しかし、このオールスター級の陣容が、結果的にFriendsterの足を引っ張ることになる。

 原因のひとつは、こうした大立て者--ほとんどが50歳前後の男性--が実際のユーザー層と大きくかけ離れていたことから、主に若者向けのSNSビジネスのコンセプトや魅力をきちんとしておらず、しかも自分たちで使うこともあまりなかったことにあるという(これに対して、Doerrは「何百万ドルという金を注ぎ込むその対象を、われわれが理解していなかったというのは公平ではない」と反論している)。また、Abramsがきちんとした事業計画を用意していたにもかかわらず、これらの有力VCたちは資金提供から数カ月後にAbramsに代わる新たなCEOを据え、すべてをメチャクチャにしてしまった(Abramsの弁)という。

 もっとも、内情をよく知る立場にあったRussell Siegelman(KPCBのパートナー)は、このあたりの確執について「どっちもどっち」といった部分があったとコメントしている。つまり、元々の取締役らにはFriendsterの提供する製品についての体感的な理解(「Feel」)がほとんどなかった一方、Abramsの側でも本人のキャパシティを超えるほどの責任を背負わされて、肝心の事柄--サービスの改善・拡充から目をそらしてしまったという。

"All of a sudden Jonathan had all these high-powered investors to please,” Mr. Siegelman said. “He had all this money in the bank, so there was all this pressure to hire people and get things done. Open up new territories: China, Japan, Germany. Add all these new features. Meantime, he took his eye off the ball."
(「Jonathanは突然、これらの有力な投資家全員を喜ばせなくてはならなくなってしまった・・・これだけの大金がころがり込んだため、人を雇い入れたり、さまざまな事柄--たとえば中国、日本、ドイツなどの新市場の開拓や、各種の新機能の追加など--を片づけたりしなければならないという大きなプレッシャーが生じた。そうこうしているうちに、Jonathanはボールから目を反してしまった」とSiegelmanは述べている)。
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