思考の枠を規定するグーグル - (page 3)

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 検閲という政府などによる所作が極めて大きな問題として取り上げられるのは、単に映像作品などに与えられる「レイティング」のように共通の倫理基準を同じ社会に属するであろう子供たちのことを考慮して定めているものとは大きな違いがあるからだ。

 結果、このような環境下に生まれ、育つ人々は、それ以外の環境で生を受けた人々とは全く異なる「思考の枠組み」に生きることを強制され、「思考の牢獄」以外の世界を想像することなく一生を終えることが大多数になるのではないか。

気がつくと同様の状況になるうる日本

 僕たちは中国という国家の選択を、他人事として言ってばかりはいられないのではないか。

 インターネットではないものの、放送で同様の可能性があるのは以前に指摘したとおりだ。例えば、NHKがその2006年度〜2008年度の経営計画の中で大きく位置づけているサーバー型放送では、視聴者は放送局が規定した以外の視聴方法をとることができなくなる可能性がある。すなわち、僕たちが日常的にリモコンで行っているチャンネルザッピングやホッピング(早送りなど)などが不可能な録画再生番組が増加する可能性があるのだ。その根拠としては、著作権の保護や広告放送の維持などがあるとされるが、どの程度まで妥当なものなのかは明らかにされないままに、その規格策定が進行している。

 もちろん、これは異なる倫理観や行政の優先度の中で構築され、提供されているものだ。しかし、ボーダーレスであるインターネット上のサービス(典型的には検索など)は、日本国民の消費や思考の自由を規定しうる可能性があることを否定できない。一種のコンテキスト(状況)による支配であり、それは新興宗教などにおける「洗脳」以上に巧妙で強力なものだ。かつて、第二次世界大戦後に、米国が「映画が最初」というキャッチフレーズの下、銀幕の中で「豊かな生活」として描かれた自動車や清涼飲料水、ジーンズなどのファッションなどが、敗戦国の文化の中で圧倒的に高い地位を占めたことを思い出さずにおられない。

 制度としての放送通信融合の議論も必要ではあるが、その延長上にある世界の議論も、平行して行われているコンテンツ産業振興と同時に語られるべきではないだろうか。

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