40年の間に、いろいろなことが起きた。
1976年、Appleの共同創設者であるSteve Wozniak氏は、同社初のコンピュータ「Apple I」を作り上げた。それに先駆けて、オタクなはみ出し者たちの寄せ集めグループに、そのアイデアを披露している。時間を一気に進めて、現代の2016年。Appleの「iPhone」は販売台数が10億台に達した。ステータスシンボルでもあり日常の象徴でもある企業となった同社にとって、これは大変な偉業だ。
Apple Iが生まれてから40年の間に、もう1人の共同創設者Steve Jobs氏はこの世を去り、Wozniak氏も新たな道を歩み出している。そしてAppleは、消費者向けテクノロジ市場を堅固に築き上げる役割をはたし、その中で浮き沈みを繰り返しながらも前進を続けている。
考えてみれば、そうした歴史はすべて、最初の「発見」の瞬間に生まれ落ちた種から始まったものだ。
(以下の内容は、2015年9月に初めて米CNETに掲載)
Steve Wozniak氏といえば、Appleの共同創設者でありカリスマ的なリーダーだった故Steve Jobs氏のオタクな相棒、という印象が強いかもしれない。だが、「Woz」がいなければ、Appleは存在していなかっただろう。
また、シリコンバレーのホームブリュー・コンピュータ・クラブ(Homebrew Computer Club)がなかったら、内気なWozはApple初のコンピュータApple Iを人前で紹介するどころか、開発しようとさえしなかったかもしれない。クラブの最初の会合に参加したことは「私にとって発見の瞬間だった」と、Wozniak氏は回想している。それはテクノロジの世界を完全に変えるきっかけとなった瞬間だった。
ホームブリュー・コンピュータ・クラブは、Wozniak氏のように自分のコンピュータを作ることに関心を抱くホビイストたちの気軽な集まりだった。熱心なメンバー同士が、ハードウェアやソフトウェア、アイデアを交換する。それが、現代のように莫大な金額が動くPC業界を作り出し、コンピュータをほぼすべての家庭に届けるために必要な原動力となった。
クラブが誕生した1975年当時、コンピュータとは部屋の半分を占めるものだった。大学、軍、あるいはシンクタンクに所属していなければ使えず、しかも一度に数時間ずつしか利用できなかった。
いつでも使える自分専用のコンピュータを持つというのは、当時としては過激な考えであり、技術的に難しい課題だった。今と同じく、パーソナルコンピュータは当時も、特別な自由を意味していた。情報の自由、高度な数学の力(「計算」の部分)を使える自由、アイデアをやりとりする自由だ。
当時のコンピュータにはマニア向けという面だけでなく、政治的な象徴という面もあり、一部の人にとっては、1960年代から70年代にかけて社会的な解放運動に見られた反抗精神を映し出すものだった。ホームブリュー・コンピュータ・クラブが生まれる前年には、「Computer Lib」という書籍がパーソナルコンピュータを社会的自由の象徴として掲げ、「コンピュータの力を人々に」と主張している。
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