著作権について、われわれはいくつかの主張を掲げています。
まずは、「正直者の寝室(プライベートな空間)に忍び込むな」という主張です。著作権はほんの15年前まで、主として出版社のみが関係するものでした。しかし今日、著作権は普通の市民を脅かしています。この事態をストップさせなければなりません。
著作権の適用範囲を縮小し、商用のみ(著作物から収益を上げている場合のみ)、著作権で保護されるべき、というのがわれわれの考えです。これに基づき、ファイル共有は完全に無料とすることを提案します。ファイル共有はプライベートで行われているもので、お金儲けが目的ではないからです。
友人とのチャットで、ビデオを一緒に見ながらチャットすることがあるかもしれません。もし、このような私的なファイル共有にも著作権を押し付けるのであれば、ユーザーがコンピュータでやりとりするすべてのプライベートなやりとりが監視されることになります。レコード会社はこれを推進しているのです。われわれには、プライベートでコミュニケーションする権利があり、現在レコード会社が押し付ける著作権のコンセプトは、われわれの権利にとって脅威といえます。
今後、政治家として、このような形で著作権が押し付けられることが適切かどうか、議会の場で突きつけていきます。プライベートにコミュニケーションできるという権利は、レコード会社が独占的に著作権を押し付けることよりも、重んじられるべきです。政治家は著作権そのものだけでなく、そのコストと利点、弊害を見る必要があります。
次に、著作権で保護される期間が長いということも主張します。著作権は著者が報酬を得るための仕組みで、これがあるから作家は創作活動で生計が立てられます。ですが、現在の著作権では、作家が生きている間のみならず、死んだ後70年も保護されます。死んだ後も本を書き続けている人がいるでしょうか? こういった背景から、われわれは商業目的で著作権を利用する長さを5年と提案します。
たとえば、『The Da Vinci Code(邦題:ダ・ヴィンチ・コード)』は2003年に出版されました。当時は話題になりベストセラーとなりましたが、現在はブームが収束しました。今年、もし著作権が切れて無料になっても、誰も害を受けないはずです。
著作権の範囲を縮小すれば、肯定的側面が見えてきます。実は、1世帯がエンターテインメント(音楽、映画など)に費やす予算は、ファイル共有サービス登場前と後で変わっていません。ファイル共有によりCDの購入は減ったとしても、コンサートなど他のものにお金を費やしていることになります。これは、アーティストにとっては朗報です。CDの場合、アーティストはCDの売上金額の5%しか得られませんが、コンサートは50%といわれています。ファンの支出がCDからコンサートにシフトすれば、アーティストの報酬は増えることになります。
レコード会社は「音楽業界の売り上げが減っている」と主張します。これは正確ではなく、「レコード(CD)の売り上げが減っている」と言うべきです。音楽業界全体の売上高は減っていないからです。レコード(CD)はもう、必要とされてないのです。そして、これはアーティストにとって悪い知らせではありません。
個々のアーティストによって、CD売り上げへの依存が高い人もいれば、コンサートがメインの人もいるので一概にはいえませんが、お金はレコード会社からアーティストの手に移っています。
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