2008年、大流行した言葉は「ソーシャルメディア」だ。コンシューマーも企業もマーケッターも、誰もかれもが話題にした。ソーシャルメディアの権威やソーシャルメディアベンチャー、ソーシャルメディア本、ソーシャルメディア会社などがあふれている。今企業では、ソーシャルメディアのストラテジストを雇ったり、コミュニティーマネージャーを任命したり、ソーシャルメディアキャンペーンを始めたり、といったことが当たり前のように行われている。これらはすべて、ソーシャルメディアの力をうまく活用するためだ。
しかし、現在のソーシャルメディアは非常に混乱している。もうけの分け前にあずかろうとする無数の機能やツール、アプリケーションの寄せ集めになってしまった。
かつてオンラインコミュニティーの草分けだったFacebookは、サードパーティーアプリケーションがうようよする蟻の巣と化した。Twitterのユーザーには現在、いつまでも改善されないTwitterの欠点を補うための追加アプリケーションが数多く提供されている。人々はいくつものツールに手を広げて、それぞれに(大部分は本人さえ知らない)さまざまなネットワークを維持しており、誰と何を共有するかを決めることすら、ほとんど不可能な状態だ。
ユーザー、マーケッター、企業はまた、驚くほどたくさんの雑音に悩まされている。あるネットワークに依存する新しいアプリケーションが出てくるたびに、ユーザーがそれを管理するのを支援する別のアプリケーションが現れる。以前は測定基準として人気があった「アイボール」だが、今は広告パブリッシャーも投資家も、不特定多数のユーザーをひとくくりにして売り込むより、もっと規模の小さいニッチ市場にターゲットを絞り込んだ方が、はるかに反応が良いことに気付いている。
意義とつながり。ソーシャルメディアのすべての中で重要なこの2つの要素が、日に日にむしばまれている。人々が持っていた、自分自身の体験を整理し、ネットワークの関連性を見つけ出す能力が低下してしまったからだ。実際、ソーシャルメディアは頭打ちになっており、すでにその中に取り込んだ人々のニーズにも応えることができない。かくして、現在のソーシャルメディアは方向転換を迫られている。
CNET Japanの記事を毎朝メールでまとめ読み(無料)
ZDNET×マイクロソフトが贈る特別企画
今、必要な戦略的セキュリティとガバナンス
ものづくりの革新と社会課題の解決
ニコンが描く「人と機械が共創する社会」