具体的には、学生諸君が提出するレポートなどを見ればわかる。課題となる対象のキーワードをグーグルなどのサイトで検索クエリとしてインプットして、得られる結果のページを幾つか切り貼りしたものばかりになりつつある。そこには、テキストやグラフィックスの切り貼りばかりではなく、例えばグーグルであればページランクというオーガニックな検索結果を左右するアルゴリズムが間接的に反映されているのだ。
結果、そんなレポートを制作した学生の思考の枠組みよりも、むしろ人工知能研究の成果として発展してきた検索エンジンの根幹を成す仕組みのほうが大きく影響するようになっている。それは、教育で獲得されるべき「物事の捉え方」や「理解の仕方」という側面が大きく抜け落ちつつあるということだ。本来、思考とは意識的・無意識的に学習された枠組みに大きく左右されるものであり、時としてネイティブである言語によって物事の捉え方自体が変わってくることは、認知言語学の研究成果によって明らかになっている。
このことを思うとき、米国では複雑な応用問題を学ぶ前に電卓の使い方を学ぶことで、現実的な生活の品質面ではよりすぐれた成果を得られるものの、本質的な数学的思考の獲得という点では極めて貧弱な現状に甘んずるを得なくなってしまっていることを思い出す。
中国対策に見る情報検閲の恐怖
日本では、個人情報保護法という、それそのものよりもその周辺での捉え方のほうが大きな問題を生じさせている、情報の取り扱いのための法律が存在している。米国でも、自由主義といったより根本的なレベルからの問題提起がなされ、政府がグーグルやMSN、Yahoo!などの主要な検索エンジンに、利用者そのもの、そしてその動向に関する情報の提供を求める動きが活発化しており、CNETでも数多くその問題について議論を取り上げている(民主党の質問状や米裁判所の審理に関する記事など)。
簡単にその是非を巡る議論に答えは出まい。とはいえ、心情的には政府が全ての個人情報を把握し、コントロールする姿勢を強めるというのは解せない。また、日本では、これらの記事に対するトラックバックが少ない点では、それほど重要には取り上げられていないのかもしれないが・・・。
米国では、政府の検索データ開示を拒否したグーグルであっても、巨大市場である中国の政府には妥協を見せている。中国政府の意向に沿って、特定のトピックやサイトについて検索結果として表示しないサービスを導入しているのだ。(グーグルの中国サイトや検閲の実態を探った記事)
他に、MSNやYahoo!などすでに中国で検索サービスを提供しているプレイヤーも、同様の対処を施している。いずれのプレイヤーもその動機はともかく、検索結果を何らかの形で制限することは、単に特定の情報に対して目隠しをするだけではない。インターネット検索などによって外部情報をリアルタイムで取り込み、更なる思考を展開することでこれまで得られなかった成果により生活品質を高めるという機会を国民から遠ざけ、特定の階層に属する人以外は結果的に「思考の牢獄」に閉じ込めるということ以外の何ものでもないだろう。
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