これまで、左側の地位を構造的に占めるマスメディアの機能や権利を獲得するために、あるいはその中の不動産(広告スペース)を得るために、大きな金額が動いてきた。それというのも、多種多様な世の中の需要を全てすくい取ることはほぼ不可能であり、とりあえずより多くの人々のメディア接触シーン(赤い部分)において商品などの認知を高め、さまざまな生活シーン(右のほうに永遠に伸びる青い部分)に間接的に影響することで、結果的に商品の消費が高まる、ということを前提に産業は成立してきた。
しかし、人々とその生活、そして時間をもネットワークするインターネットになんらかの事象がデジタルの記号として投影されるようになると、多種多様な需要(青い部分)を結びつける=検索をひとつのルールで処理することが可能になってきた。 また、ロングテール部分に位置づくひとつの事象を、成功報酬型広告という仕組みでより左の方へ動かすことを広告主の意思によって可能にし、その報酬を「ちりも積もれば・・・」のロジックでごっそりと集めることも可能になった(このあたりの経緯は、Wiredの創刊者でもあるJohn Battelleの好著「ザ・サーチ グーグルが世界を変えた」に詳しい)。
そして、「映像に対する需要もテキスト検索同様に分布し、その取り込み=ビジネスモデルも成功報酬型で十分」という読みがGoogle Video Storeへと至ったに違いない。加えて、日本とは異なり、小売業がDVDなどの流通や価格決定に大きな影響力を持つ米国では、DVD販売からVOD(ビデオオンデマンド)への期待がコンテンツホルダー自身の中でも膨らみつつあり、それに後ろを押されたということもあるだろう。
GyaOとTVバンクの違いは、このGoogleの発想を取り入れるか否かにある。後者が外部の映像コンテンツも検索エンジンを利用して網羅するサービスを加え、利用者からの投稿も受け付けると宣言しているのに対して、先行するGyaOは完全なマスメディアモデルにのみ依拠し、新たなコンテンツ制作にも進出するという。
もちろん、広告型ビジネスモデルによる無料視聴サービスにせよ、十分な価値を持ったコンテンツに対して対価を払うことを前提としたサービスにせよ、どちらか一方のみが視聴者に受け入れられるというものではないだろう。しかし、事業という視点から捉えたとき、どちらが望ましいかということはおのずと結論ができるに違いない。もちろん、米国ではIntel Viivへの対応など視聴環境の整備といったアライアンスをはじめとする外部条件が作用してくることもあろう。だが、仮に日本の中での競争がGyaOとTVバンクであるとするならば、Viivなどへの対応よりも、むしろテレビ局などの大手コンテンツプレイヤーとの連携がキーになってくるのではないか。もちろん、米国勢が日本になだれ込んできた場合は異なるシナリオになるだろうが。
現在は、ネット配信サービスとテレビは、視聴者のアイボールを奪い合うライバルではある。が、PVR(パーソナルビデオレコーダー)などの多様な視聴環境が整備されつつある状況下では、単純なライバル関係という構図に拘泥するよりも、相互に利を得る仕組みを構築したほうがいいに違いない。具体的にはマスメディアという広くあまねく利用者に告知をはかる仕組みと、ロングテールで見出される需要とコンテンツの組み合わせを実現する仕組みをブリッジすることだろう。
米国のネットワーク局では地上波とCATV専門チャネルの間で、チャネル間のクロス番組編成をすることで特定の視聴者の囲い込みに成功し、高い事業効率を実現したという実績がある。それをネットとマスメディアで実現するには、いかなるアプローチが可能なのか。そのためには、同質のビジネスモデルを採用し続けるよりも、異なる条件を持ったもの同士が相互に新たな環境下で補完しあう体制を作り上げることが望ましいだろう。
はたして米国におけるGoogleの取り組みはいかな経緯をたどり、その利点を取り込むことのメリットがどのように日本の市場に反映するか。インフラ規制緩和議論に終始しがちな日本の放送通信融合議論との関連において視聴者という立場からも実り多きサービスが充実することを望みたい。
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