1990年代初頭に開かれたある顧客向けイベントで、IBMの情報検索専門家Rakesh Agrawalは、英国の百貨店チェーンMarks & Spencerの幹部から、データベースに関する悩みを打ち明けられた。店ではあらゆる種類のデータを集めているが、そのデータをどう活用すればいいのか分からないという。
この話を聞いて、Agrawalと彼のチームは自由なキーワードを使ってクエリを実行するアルゴリズムの研究に取りかかった。そして1993年、Agrawalは後にデータマイニング分野の必読文献となる論文を発表する。この論文は現在までにおよそ650の研究論文で引用され、この分野でもっとも広く引用された論文の1つとなっている。
「本当は(論文を)送るべきかどうかすら迷っていた。ばかばかしいと思われるかもと心配でね」と栄えあるIBMフェローの肩書きを持つAgrawalはいう。
この逸話はIBMが技術研究に毎年50億ドルもの予算を割いている理由を示している。IBMの研究部門には3000人以上の研究者が所属し、30万人の社員のほぼ3分の2は技術関係の仕事についている。こうした人材が、IBMが新しい市場や成長市場を作りだし、そのリーダーとなるための科学的基盤を形成している。
研究の幅や深さの面で、IBMに対抗できる企業はほとんどない。IBMにはノーベル賞受賞者が5人いる。数ある開発成果のなかで、ノーベル賞の栄誉に輝いたのは電子トンネルの発見と原子を観察できる顕微鏡の発明だ。IBMはこのほかにも技術栄誉賞を7度、科学栄誉賞を5度、A・M・チューリング賞を4度受賞している。また、この10年間は毎年、世界のどの企業や個人よりも多くの特許を取得してきた。
IBM帝国はそうそうたる知性によって支えられている。
Phaedon Avouris(ナノスケール科学技術担当マネジャー)
Alfred Spector(IBM Researchサービスソフトウェア担当副社長)
Frances Ross(ナノスケール素材分析担当マネジャー)
Donald Eigler(IBMフェロー)
Rakesh Agrawal(IBMフェロー)
Bernard Meyerson(IBMテクノロジーグループCTO)
Stuart Parkin(IBMフェロー)
江崎玲於奈(IBMフェロー、ノーベル賞受賞者) |
IBMが発明・発見したもののなかには、プログラミング言語のFortran、磁気ディスクドライブ、超伝導、データ暗号化規格などがある。1928年にお目見えした世界初の公共拡声装置「Schoolmaster」もIBMの発明品だ。
こうした偉業を支えているのが、IBMの大学に似た文化と独自の認定制度だ。IBMは、3つめの特許を取得したすべての社員を昇格させることで、その功績を認めている。IBMの技術者にとって、Master Inventor、Distinguished Engineer、そして最高位のIBM Fellowの肩書きを得ることは1つの憧れだ。
IBMが支援する大学で学んだ学生にとって、就職先にIBMを選ぶのは自然の流れだ。毎年、IBMから何百万ドルもの研究資金を得ている大学は、国内外でIBMの人材プールとなっている。たとえば、IBMの北京研究所には毎年約1800人の博士号取得者と取得見込み者から履歴書が届く。しかし、実際に採用されるのは十数人にすぎない。
「日常的に学生と接している企業は、卒業生を獲得する確率も高い」とスタンフォード大学工学部長のJim Plummerはいう。同氏によれば、大学を支援することでIBMが得ている大きな利益の1つが人材の採用だという。スタンフォードの博士課程からはこれまでに数百人がIBMに入社している。
しかし、優秀な学生たちがIBMを選ぶ大きな理由は、研究所やその他の学術環境ではなく、むしろビジネスの側面にある。IBMは意図的に研究と製品開発の境目をあいまいにした。こうした自由な雰囲気こそ、あらゆるレベルの技術者を魅了し、よりよい研究成果を引き出すことを同社は知っているからだ。
製品化を支援する研究者たち
一昔前の大規模な企業研究所と異なり、IBMは研究成果をビジネスにつなげること、研究を顧客のニーズに沿ったものにすることを重視し、そのための仕組みを構築した。その結果、発明者や研究者はこれまでよりもプロジェクトに主体的に取り組むようになり、商用化の過程にも参加できるようになった。
「IBMが研究部門の手綱を引き締め、製品開発部門と連携する必要性を強調したのは10年ほど前のことだ」とカーネギーメロン大学計算機科学部長のRandal Bryantはいう。「『研究者は研究だけしていればいい』というやり方では絶対にうまくいかない」(Bryant)
現在は毎年何人もの研究者が研究所を離れ、自分が開発した技術の製品化に協力している。
Nelson Mattosもその一人だ。ブラジル出身のMattosはドイツのカイゼルスラウテルン大学の教授を経て、1992年にIBMに入社した。現在、Distinguished Engineerの肩書きを持つ彼はIBMインターンの博士号研究のアドバイザーを続けながら、情報統合ソフトウェアグループのディレクターを務めている。
Mottosだけではない。たとえば、Anant Jhingranはアルマデン研究所のコンピュータサイエンス担当ディレクターと、ワトソン研究所のEコマース・データ管理担当上級マネジャーを兼任していたが、数年前に製品開発部門に異動になった。
現在、Jhingranはデータベースとウェブ検索を融合する方法を模索している。「研究と開発の間に境はほとんどない」(Jhingran)。
たとえば、「オンデマンド・イノベーション・サービス」プログラムでは、シリコンバレー、ニューヨークなど6カ所の研究所の研究者が、顧客の現実の問題解決に取り組んでいる。一方、顧客企業が構成する「情報統合リーダーシップ委員会」は、将来のデータベース製品に望む機能をIBMに助言している。
情報統合製品DB2 の開発マネジャーで、IBM Distinguished Engineerの肩書きを持つLaura Haasは、IBMでは顧客によるベータテストの様子を設計者自身に見せることが多いという。最近、Haasは部下の一人が担当したプロジェクトのベータ試験に参加した。
「システムがクラッシュしてしまった」とHaasは振り返る。開発を担当した部下は縮こまっていたという。
しかし、商用化のプロセスも完璧ではない。たとえば、リレーショナルデータベースを開発したのはIBMだが、商用化に初めて成功したのはOracleだった。OS/2やMicroChannelなどの技術でMicrosoftのPC市場支配を打ち砕く試みも失敗に終わった。また、巨額の宣伝費を投じたにも関わらず、RISCプロセッサの売れ行きはIntel系チップにはるかに及ばなかった。
それでも、「IBMはかなりうまくやっている」とコンサルティング会社RedMonkのアナリストSteve O'Gradyはいう。「IBMがBell研究所やPARCと違うのは、実社会と密接につながっているところだ。IBMが検索分野で何をするかには注目している。同社が大量の情報をどう処理するのか、お手並み拝見といこう」
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