デジタル化の主目的は、デザイン、生産、およびビジネスを合理化し、さまざまなデジタルツールを活用して持続可能性を向上させることにある。特にファッション業界では、他の産業に比べてデジタル化が遅れているとされることがしばしば指摘される。
しかし、メタバースが現れたことで、デジタルファッションにおいても新たな展望が開けてきている。デジタルファッションは、物理的な存在はしないものの、仮想空間でのみ存在する衣服を指す。この新しいファッションの形式は、特にゲーム、ソーシャルメディア、オンラインショッピングの分野で広がりを見せており、特に若い世代を中心に、すでに日常生活に深く浸透している。
また、多くの高級ブランドも参入しており、たとえば、アレクサンダー・マックイーンが提供するデジタルTシャツは、ゲーム内でアバターが着用できるアイテムとしてダウンロードすることが可能だ。また、ルイ・ヴィトン、バレンシアガ、グッチなどの高級ブランドもこの分野に参入している。Robloxで販売されたグッチのハンドバッグに関しては、発売1時間後に4000ドルで転売されたが、これはリアルのバッグが販売される価格よりも高いものだった。
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このように、デジタルファッションは従来のファッション産業の枠を超え、新しい表現の場を提供している。また、実際の衣服とは異なり、重力や物理的制約を受けないため、デザイナーは新たな創造性を存分に発揮できる。これにより、ファッションの未来は、ただの衣服の提供を超え、個人のアイデンティティや表現の新たな形を模索する場へと進化している。
メタバースにおけるデジタルファッションには、現実世界のそれとどのような違いがあるのだろうか。デジタルファッションでは、実際の衣服とは異なる自由度がある。物理的な制約がないため、服の袖や手を必要とせず、最も純粋な形でファッションを体験することが可能だ。これは単なる現実の代替ではなく、ファッションの進化形と言えるだろう。また、ARやVRなどの最先端技術を活用することで、複数の異なる衣装を同時に着用したり、特定の相手に向けて魅せる衣装を選択することもできる。
さらに、デジタルファッションは性別、サイズ、人種に関係なく楽しめる。これにより、これまでとは異なるコンテキストでの自己表現が可能となり、個人が自身のアイデンティティをより自由に表現する新たな道を切り開くことができる。
現在、ラグジュアリーブランドや大手ブランドが続々とデジタルファッションに参入しており、今のところは、デジタルにおいても基本的に「人型」のデザインが採用されることが多い。しかし、今後メタバースやデジタルファッションに慣れ親しんだメタバースネイティブな人たちが登場した際に、彼らが人型のアバターを採用し続けるかどうかはわからない。「動物型」や「宇宙人型」など、さまざまなパターンのアバターの登場が考えられる。デジタルファッションにはそうした人型以外のアバターへの対応も求められるだろう。
また、メタバースでは男性ユーザーの約75%が女性アバターを使っているとされている。そのなかでアパレルブランドがメタバースに参入しようとするときには、男性向け・女性向けどちらのマーケティングを行うべきかについて、リアルとは違った観点で考える必要がある。特に、細部までこだわるアイテムを出しているブランドはユーザーにも評価されている。
デジタルファッションという言葉を聞くと、新しい文化のように感じられるかもしれないが、実はその文化は以前から存在していた。例えば、「ファイナルファンタジーXIV」をはじめとするMMORPGなど、ゲームの世界ではキャラクターの着せ替えやカスタマイズ機能があるタイトルもあり、また携帯電話のアプリ「モバゲー」などではユーザーがオリジナルのコーディネートを楽しんでいたことからもわかるように、デジタルでの自己表現は新しい発明ではない。
1970年代のブロンクスで生まれたストリートファッションが、アパレル業界の巨大なジャンルへと成長した。1990年代には、原宿で始まった「Kawaii」カルチャーや裏原ブランドが世界的なラグジュアリーブランドのデザインソースに影響を与えたことが知られている。これらの動きは、前衛的で実験的ながらも、リアルな場での人々の自己表現の手段として成長し、やがては世界的な現象へと拡大した。
そして現在、新しい「ストリート」は仮想空間、つまりメタバースの中に存在している。2020年代に入り、メタバースプラットフォームにおいて、アバターを着飾る文化が芽生えた。この新しい空間では、まだ誰にも定義されていない自由なスタイルが展開されている。デジタルファッションは、物理的な制約から解放され、新たな自己表現の場として、これからも多くの人々に受け入れられる可能性がある。
デジタルファッションという新しい消費スタイルが形成されつつあるが、メタバースのユーザーの多くは、リアルの自分となるとファッションに対しては積極的ではない方が多い印象を筆者は抱いている。そのため、ユーザーと話しをしていると、リアルではあまり洋服を買わないが、アバター用の洋服はたくさん持っているという人が多く見受けられる。
最近のトレンドを見ると、若年層が「プレゼントで欲しいものは何か」とたずねられた際、多くがバーチャルアイテムを挙げる傾向にあるようだ。一般的に、実物の商品よりもデジタルアイテムが好まれることが多いとされている。例えば、「Roblox」ゲーム内で使われる仮想通貨「Robux」のようなアイテムが人気を集めている状況は、現代の若者たちの間でデジタルアイテムが重要な地位を占めていることを示しているかもしれない。
デジタルファッションの台頭には、SNSの普及が大きく寄与している。SNSにおいて、多くの人が見た目に注目する投稿を求めるなか、服を購入し、写真を撮った後にそれを手放すという、そんな消費スタイルが見受けられる。同様に、メタバース上でかわいい写真を撮ったり、メタバース上でおしゃれをした写真を撮ると、思わずその写真をSNSに投稿したくなる。メタバースでオシャレを楽しむことは、ただの遊びではなく、自己表現の一形態として確固たる地位を築きつつある。
物理的な存在を持たないものでも、実際にはリアルという感覚であり、所有や着用時に満足感を得ることができる。特に、スポーツウェアからオートクチュール、幻想的なデザインに至るまで、デジタルファッションには誰にでも合う何かがある。これらの魅力的なピースを見ると、実際に所有したいという「メタ欲求」を感じることもある。このように、デジタルファッションは単なるトレンドに留まらず、バーチャルとリアルの境界を曖昧にしながら、新たなファッションの消費形態を生み出しているのである。デジタルファッションは、衣服の未来だけでなく、私たちの消費行動にも革新をもたらすかもしれない。
では、デジタルファッションが台頭してきた今、リアルの物品への興味が薄れていくのだろうか?筆者の見立てでは、現実とデジタルの世界は互いに影響を及ぼし合い、共存するものだと考えている。例えば、ソーシャルVRプラットフォーム、特にVRChatでは、ユーザーはアバターを通じて個性を表現し、現実世界のファッションと同様にデジタル服装へのこだわりを見せている。これは、デジタルファッションを楽しむ人々が将来的にリアルのアイテムへも目を向ける可能性が高いことを示している。
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この流れは、メタバースの「リンクコーデ」という新しい楽しみ方にも表れている。これは、実世界とデジタルの世界で同じ服を着用するという試みで、ファッションの新たな地平を開いている。このような動向は、企業にとってデジタルとリアルの市場を単に分割するのではなく、文化的背景を理解し、新しい顧客ニーズを創出する上で重要な手がかりとなる。
デジタルの評価指標が現実の行動に影響を及ぼす現象も、メタバースにおいて加速されるかもしれない。例えば、現在はフォロワー数が多いほど就職活動をする上で有利になるケースもあるくらい、SNSを基準にした評価を重視する傾向にある。このような現代で、「いいね」やフォロワー数がメタバース内の評価基準として強化されることは容易に想像できる。
メタバース内でのファッションが評価され、その評価が現実世界での行動に影響する可能性は大いにある。そのような社会になれば、メタバースにおいても常に他人からの評価を意識し続ける必要が出てくるかもしれない。
メタバースのなかで、現在のネット社会と同様の問題が生まれる可能性はありえる。新しい技術は、「人間が大事にすべき価値は何か?」や「個性とは何か?」といった深い問いを提起している。メタバースが提供する「無限の可能性」の中で、私たちは新しい「制限」をどのように定義し、どのように形作っていくのかを考える必要がある。
メタバースの世界でファッションが息づいていることに驚かされた人もいるかもしれない。リアルには存在しない服が、どうしてそこまで人々の心を掴むのかということは、最初は理解しづらいかもしれないが、その魅力に気づくと、あっという間である。
メタバースでは、ただ服を着るだけではない。アバターを鮮やかに着飾り、友達と出かけることで、新たな体験を共有できる。キュートな服やカッコいいアウトフィットを纏い、デジタルな世界を旅するうちに、それらはまるでリアルな存在のように感じられるようになる。
メタバースはただの遊び場ではなく、自己表現の場としても機能する。ここでは、新しいアイデンティティを試すことができ、現実世界では決して体験できない自由を手に入れることができる。煌びやかなアバターで街を闊歩し、仮想世界の記憶をリアルなものとして紡ぎ出すことで、デジタルファッションの真価を発見することだろう。
齊藤大将
Steins Inc. 代表取締役 【http://steins.works/】
エストニアの国立大学タリン工科大学物理学修士修了。大学院では文学の数値解析の研究。バーチャル教育の研究開発やVR美術館をはじめとするアートを用いた広報に関する事業を行う。
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