未来都市を見せる技術--森ビル矢部俊男氏が語る六本木ヒルズから地方創生まで【前編】

 企業の新規事業開発を幅広く支援するフィラメントCEOの角勝が、事業開発に通じた、各界の著名人と対談していく連載「事業開発の達人たち」。当連載では、森ビルが東京・虎ノ門で展開する大企業向けインキュベーション施設「ARCH(アーチ)」に入居して新規事業に取り組んでいる注目の方々をご紹介しています。

 今回ご登場いただくのは、森ビル 都市開発本部 計画企画部 メディア企画部 参与 矢部俊男氏。矢部氏は独自に編み出した可視化技術を用いて森ビルの都市開発事業を支える傍らで、東京都内と長野県茅野市との二拠点居住を実践して、データとテクノロジーを活用した地方創生事業に取り組まれています。前編では、森ビル入社に至るまでの激動のエピソードについてお伝えします。

森ビル矢部俊男氏(右)とフィラメントCEOの角勝氏(左)
森ビル矢部俊男氏(右)とフィラメントCEOの角勝氏(左)
  1. 池袋生まれのシティボーイが道路会社に入社して過酷な現場を体験
  2. 29歳で建築コンサルに転職しコンピューター能力が開花
  3. アーク都市塾での出会いに誘発されて特殊スキルが発動
  4. 過酷な体験が森ビルでの成功につながる

池袋生まれのシティボーイが道路会社に入社して過酷な現場を体験

角氏:僕はフィラメントという会社を立ち上げる前、20年間大阪市役所に勤めていました。その時に都市計画の仕事も少しやっていて、今日はその目線でも話を伺えたらと思います。その前にどんな人生を歩んでこられたのか、自己紹介的な話から伺えますか?

矢部氏:僕は森ビルのプロパー社員ではなく、最初は大手ゼネコン系の道路会社に勤めていました。生まれも育ちも東京の池袋で、子どもの頃に元々拘置所だった場所に「サンシャイン60」という超高層ビルができて、街の有り様が一気に変わったのを目の当たりにしたのです。それで都市開発という世界に興味を持ち、大学では土木建築を専攻しました。

角氏:でも卒業後は建築系ではなく、土木系の道路会社に入ったんですね。

矢部氏:入社したら、とてもそんな仕事内容ではありませんでした。少し前に「不適切にもほどがある!」というテレビドラマがありましたが、就職したのがちょうどあの時代で、いきなり“池袋生まれのシティボーイ”が、当時ですら不適切にもほどがあるレベルの労働環境を体験することになったのです。

角氏:どのようなことがあったのですか?

矢部氏:まず、東北の災害復旧の工事現場に配属されまして。そこが8畳に新人が5人で寝ながら夜明け前から深夜まで働くような現場で、とにかく想像を絶する世界でしたね。

角氏:それはめちゃくちゃですね。

矢部氏:当時は高度成長が終わりバブルが始まりかけの時代で、いろいろな場所から働き手が集まっていたので、そういう労働環境が珍しくなかったんですよね。それで東北に25歳までいて、そこから横浜に移ることになりホッとしたのですが、実はそこにまた二番底がありまして。

角氏:横浜だと働き方も洗練されていたのではないですか?

矢部氏:横浜の仕事は「都市土木」で、要するに夜間工事です。夜になって工事現場に人が出てきて仕事をする訳ですが、まず何が問題かと言うと、みんなが楽しく遊んでいる時に仕事をする訳なので、友達がいなくなってしまうんです。当時自衛隊のレンジャー部隊出身の部下が、みなとみらいで行われていた「横浜博覧会」のとき、夜間工事が終わって戻って風呂場で泣いていたんです。仕事の時間と多忙が原因で彼女に逃げられたらしくて、「レンジャーに帰りたい」と。

29歳で建築コンサルに転職しコンピューター能力が開花

角氏:レンジャーの環境よりきついというのは相当ですね。そんな環境で矢部さんはよく頑張りましたね。

矢部氏:当時は道路を止める集中工事もありませんでしたし、バブルの絶頂期で飲酒事故も多く、厳しい環境でした。でも命までは取られまいと思って頑張っていたのですが、29歳のときに目の前で悲惨な事故が起きるという体験をしまして、その時にもう続けられないなと。そう考えていた時に、ちょうど当時妻が建築設計事務所に勤めていて、建築の世界が目に入ったのです。それで29歳の時に、「英語を喋れるようになる」「コンピューターを扱えるようになる」「1級建築士の資格を取る」という3つの志を持って会社を辞め、次に都市計画を手掛ける建築事務所でコンサルタントになりました。

角氏:1回コンサルに行ったのですか。

矢部氏:そこで色々と勉強をしているうちに、アップルの「Macintosh(マッキントッシュ)」コンピューターに出会い、それが1つの転換期となりました。特殊な能力が開花したのです。

角氏:さっきの3つのうちの1つですね。でも何故マッキントッシュが?

矢部氏:僕はコードを書く必要がある言語系のコンピューターは得意でなかったのですが、マッキントッシュは直感的な操作ができたので、相性が良かったんですよ。僕は字が汚くて、以前工事現場の施工計画書を書くときにいつも怒られていたんです。実際に字がきれいだと査定が高いという時代でしたし。それがコンピューターを使う事で相手にモノが伝わるようになり、それをきれいな形でも表現できるようになり、結果的に人に評価してもらえるようになったわけです。

アーク都市塾での出会いに誘発されて特殊スキルが発動

角氏:当時の社会通念的に虐げられていたところから、一気に才能が開花した訳ですね。

矢部氏:それがうれしくて色々と学んでいく過程で、1993年に当時森ビルが六本木のアークヒルズで開催していた「アーク都市塾」に通わせてもらったんです。アーク都市塾は、森ビル創業者の森(森泰吉郎氏)が「街づくりは人づくり」との考えのもとで創設した塾で、そこでコンピューターを使って、マルチメディアやインターネットを学びました。その時に森ビルの人たちを筆頭に、都市計画の大家である伊藤滋氏をはじめ多くの重鎮の方々と出会うことができて、たくさんの共感を得たのですが、人間はそういう時に潜在的な何かが発動するんですね。そこで僕は、「コンピューターを使って未来の街を表現する」というスキルが発動したのです。

角氏:当時はCGなんて普及していませんでしたよね。

矢部氏:一晩かかって680×480ピクセルくらいの画像をやっと1枚レンダリングできるくらいで、その後CGは加速度的伸びていったのですが、まだまだハイビジョンでは表現できないし、動画を作るのも難しいという時代でした。そんな時に、当時の森社長(森ビル 前代表取締役会長の森稔氏)が「六本木ヒルズというプロジェクトを立ち上げるのだが、未来の街をイメージするものを作りたい」と仰っていて、その条件として瞬間的に見たいので模型にこだわっていたんです。

 コンピューターだと、特に当時はボタンを押してから表示されるまでに相当時間がかかりますからね。そこで僕は、「撮影した街の写真をソフトで加工して模型に貼りつけて、それをカメラで見るとリアルに見えますよ」と提案し、見てもらったら気に入ってもらえました。現在「森ビルアーバンラボ」に巨大な都市の模型が展示してあるのですが、それの原型を作ったんです。

角氏:その都市模型は僕も見に行きました。東京がリアルに再現されていて、圧倒されました。

矢部氏:あの都市模型は全部僕が考えて特許も取ったのですが。その過程であまりにも森社長からリクエストがあったので、「私森ビルの社員じゃないんですけど」と言ったら、「じゃあ社員になればいいだろう」と。それで森ビルの社員になりました。

角氏:都市模型を作ることになり、アイデアを出してそれが社長に気に入られてうちに来ないかと。

矢部氏:そうですね。今度六本木ヒルズというプロジェクトがあるので、みんなに伝えたいと。森稔は天才肌で、さまざまなアイデアを考えているんですよ。それを彼はテキストで書くのですが、彼の考えていることはテキストでは伝わりきらないんです。

 例えば高さ238メートルのビルができて、そこに商業施設が入って住宅が横にあって、庭園があって緑がたくさんあるなどという事を言葉で確実に伝えるためにはものすごく手間がかかって、その文字を読んでくれる人がどれだけいるんだということで悩んでいた時に、「おまえの技術は都合がいい」となって、六本木ヒルズのプレゼンツールを開発した訳です。それで森ビルに入社してからも、いろいろ森元会長の構想をリアルの世界に持ってくるお手伝いをしてきました。

過酷な体験が森ビルでの成功につながる

角氏:その最初が都市模型で、それがその後の成果や活動にもつながっていくんですね。

矢部氏:その際に良かったのが、森ビルの世界に入った際に自分の居場所として土木・道路の知識があったことです。設計者と施工管理者は考え方が違うんですよ。

角氏:現場にいたので生々しいこともわかるし。めちゃくちゃな働き方を経験した甲斐がありましたね(笑)

矢部氏:心は鍛えられましたが、今でも当時の悪夢を見ます(笑)。実は新入社員の時に、アークヒルズの工事現場でも働いたことがあったんですよ。その時には詳しいことを知らなかったのですが、何か今までとは違うことをしていることは理解できて、そういうことをする会社があるんだと思っていました。そういった経緯を経て、森ビルで僕は一貫して都市の未来を見せる技術を作っていくことになったのです。

 後編では、矢部さんが森ビルで取り組まれてきた活動と、最新の取り組みについて伺います。

【本稿は、オープンイノベーションの力を信じて“新しいことへ挑戦”する人、企業を支援し、企業成長をさらに加速させるお手伝いをする企業「フィラメント」のCEOである角勝の企画、制作でお届けしています】






角 勝


株式会社フィラメント代表取締役CEO。


関西学院大学卒業後、1995年、大阪市に入庁。2012年から大阪市の共創スペース「大阪イノベーションハブ」の設立準備と企画運営を担当し、その発展に尽力。2015年、独立しフィラメントを設立。以降、新規事業開発支援のスペシャリストとして、主に大企業に対し事業アイデア創発から事業化まで幅広くサポートしている。様々な産業を横断する幅広い知見と人脈を武器に、オープンイノベーションを実践、追求している。自社では以前よりリモートワークを積極活用し、設備面だけでなく心理面も重視した働き方を推進中。



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