大企業のなかで新規事業の創出やイノベーションに挑む「社内起業家(イントレプレナー)」たち。彼らの多くに共通しているのは、社内だけでなく社外でもアクティブに活動し、横のつながりや幅広い人脈、あるいは課題を見つける観察眼やその解決につなげられる柔軟な発想力を持っていることだ。この連載では、そんな大企業内で活躍するイントレプレナーに話を聞いていく。
今回は、マレーシアで教育事業を展開するトイエイトを共同創業者とともに立ち上げた松坂俊氏。マレーシアに住む子どもたちの成長をサポートする新たなチャレンジをしていくなかで、幾度かのピボットを経て「発達検診」にフォーカスし、マレーシアの抱える大きな社会課題解決を実現しようとしている。
——まず、松坂さんがこれまでどういった仕事をされてきたのか教えてください。
僕は美術大学に入学して英国に留学した後、2008年に外資系広告会社のマッキャンエリクソンに第2新卒として入社しました。入社後はメディアバイヤーとして、放送局のCM枠を買い付け、広告主さんの広告を流すといった仕事をし、2年ほどしてからは、広告主さんがどの媒体をどのように使用すると届けたい人に効果的に伝わるかを考えるメディアプランニング業務を経験しました。さらにそれから2年、もともと志望していた広告制作の部署に移り、クライアントの広告を作ってきました。
それから1〜2年が経ち30歳になった時、ただ広告だけ作るのではなく、従来型の広告以外の手法でクライアントさんに貢献するような仕事の仕方はないか、と思うようになりました。ちょうどそのタイミングで米国のテキサス州で毎年開催されている「サウス・バイ・サウスウエスト」というテクノロジー、音楽、映画の世界最大級のフェスティバルに行かせてもらう機会があり、そこで同世代が世界を変えるような事業アイデアを形にしている姿を目の当たりにしました。
プロダクトとしては洗練されていないものも多かったのですが、そこから資金調達などをしながら検証を繰り返しより大きなものに仕上げていくやり方があるんだ、と気付かされましたし、完成度は高くなくても解決するべき課題や思想がむしろ重要なんだなとも感じました。広告の世界でもそういう作り方ができないだろうかと思いつつ帰国した後、ミレニアル世代の同僚で部署を作り、そこで自分が解決したい課題や作りたいプロダクトを作ってクライアントに貢献する、という場を作りたいと上司に相談しました。
すると、幸運なことに、広告会社の新たな稼ぎ方の模索として位置づけて、社長と上司に許可を得て「McCANN MILLENNIALS」というミレニアル世代の挑戦の場を作ってもらい新しい取り組みを始めることができました。
売上にはコミットしないと役員には言っていましたが、その反面、「McCANN MILLENNIALS」を立ち上げた同僚とは「結果を出さないと持続できないから」ということで、自分たちのなかではすごく売上にコミットして、会社から提供してもらった予算以上のパフォーマンスは出せるようにクライアントさんに沢山の提案をしました。社内起業とまではいかないまでも、自分たちにとってはすごく大きな動きだったと思います。
——そこでは例えばどのようなものを作ったのでしょうか。
7~8年前、これからはAIの時代、AIが人の仕事を奪う、みたいな議論が巻き起こっていた頃に、CMを作る人工知能のプロジェクトを立ち上げました。日本の広告賞の最高峰であるACCの広告賞を受賞した過去のCM作品をデータベース化して、「いいCMとは何か」の判断の元となるデータを入力し、さらにクライアントのターゲットや作りたいCMの方向性を設定すると、適切なCM案を提示してくれるというものです。
ある食品会社の製品について、この人工知能と人間のクリエイターの両方にCMを作ってもらい、どちらがより人に伝わるかをユーザー投票で計測しました。結果的にはほぼ互角ながら人間のクリエイターが勝ったんですが、クライアントからすると普通に出稿するより2つのCMを比較しながら見てもらえるので効果も高くなる、というメリットを感じてもらえて、感謝をしていただきました。
また、このプロジェクトを手がけた会社としてクライアントさんと共にマッキャンエリクソンも世界中から取材を受けました。これによって経験の少ない若手クリエイターでも、意欲さえあれば自ら機会を作って活躍できる、という流れを作り出せました。
——そこから今のトイエイトに所属するまでには、どのような活動をしていましたか。
そんな風に僕は新規事業にすごく興味があったのですが、その頃に「McCANN MILLENNIALS」のような大企業の若手有志団体のプラットフォームで新規事業担当者も多く所属する「ONE JAPAN」のことを知り、「McCANN MILLENNIALS」として参加させてもらいました。そのなかの1つとしてパナソニックさんとともに「GENOME HOUSE(ゲノムハウス)」という、人間の遺伝子データをもとにインテリアや家電を設計することで、その人にとって「遺伝子レベルでくつろげる家」を提案するというプロジェクトも生まれました。
そこで新規事業の作り方、立ち上げ方を見ることができたのはすごく良かったのですが、個人的にたくさんの新規事業1つ1つに共感しながらフルコミットしていたので、会社の事情からプロジェクトが中止になったりすると、最後までやりきるには自分主導の事業でないとならないな、という思いも強くなってきました。起業するか、自分が事業会社に移って新規事業のリーダーになるくらいじゃないと、と思ったんですね。
グローバルに活躍できるビジネスパーソンになりたい。東南アジアなど成長市場に身をおいてビジネスをしてみたいーー。そう思って異動の希望を出し、2017年にマッキャンエリクソンのマレーシア支社に配属されました。マレーシアでも新規事業という切り口で様々なプロジェクトに関わっていく中で、トイエイトの共同創業メンバーに出会うことができ、一緒に事業を始めることにしました。この時点ではトイエイトで必要なクリエイティブワークなどをマッキャンエリクソンと協業しながら立ち上げを行いました。
——起業のテーマを教育にした理由はなんだったのでしょう。
2017年には子どもが生まれて、教育分野が自分にとって最大の関心事だったことが理由の1つです。
それと自分自身、軽度の識字障がいがあると大学在学中に知ったことも大きかったと思います。子どもの頃から文字を読むのがすごく大変だとは感じていたものの、自分では障がいだとは思っていなくて、そう診断されてショックは全くなく、むしろ安心したんですよね。つまらない教科書を読むと誰もが眠くなると思うんですが、僕の場合はたぶんその何倍も疲れやすく、眠くなりやすいらしいんです。医師からは「よく高校を卒業できたね」と言われたくらいでした。
今も昔も学ぶ意欲や好奇心は強い方と思うのですが、高校生の当時、本や参考書などの文字から学ぶということを無意識的に避ける方法を探して、たどり着いたのが美術大学だったのかもしれません。今だからわかるのですが、自分のようなタイプの人間に無理やり文字から情報をインプットするのは学習手段としておすすめしませんし、強制しすぎると学ぶこと自体が嫌いになってしまうこともあります。
幸い、私の両親は相当不出来だった成績にはあまり口出しせず、周りの子どもとの比較よりも私個人の成長をよく観察して見守ってもらえていたと感じます。そして勉強よりも部活を優先しても応援してもらったり、海外の美術大学への進学など、やりたいと言ったことは否定されずに機会を与えてもらえました。
子どもが生まれたとき、僕みたいに文字を読むのが苦手な子もいれば、会話が苦手な子もいるだろうと。学ぶことは好きでも、吸収力のある子どもの時期に間違った学び方で時間を費やしてしまうのはもったいないし、可能性を潰してしまいます。
そんな実体験もあり、トイエイトを創業する際に子どもの才能や特徴を可視化することができないかと考えました。自分の親が幼少期からよく私を観察して挑戦を応援してくれたように、テクノロジーを使って科学的にその子どもを分析できれば、より多くの子どもが才能を発揮できる機会を作れると信じています。
そんな思いで最初に取り掛かったプロダクトとしてショッピングモール内にプレイグラウンドを作りました。元々の構想としてはカメラやセンサーを使うことで、子どもが遊んでいる姿を分析して特徴を見つけ、その子に最適な学び方を探り、「子どもの才能を伸ばす」ことを目指していました。ただ途中でコロナ禍に入ってしまい、計画は中断してしまいました。
——それは不運でしたね……。
はい、すぐに切り替えて、同じ思想でできることを模索しました。プレイグラウンドに集まることはできなくても、オンラインで質問に答えてもらうことで子どもの強み・弱みはある程度わかるところもあります。ですので、その分析結果に合わせて個別最適化したおもちゃを遊び方と一緒に届ける「トイエイトボックス」というサービスを始めました。
ところが、これをサブスクサービスとして作ってみて、顧客の親御さんへのインタビューを繰り返してみると、購入の理由が「子どもが年齢相応の能力を身に付けているのかが不安」といった声の方が多く、私達が打ち出していた「強みを伸ばす」という価値とはずれていました。現在のマレーシアでは「強みを伸ばす」という打ち出し方では事業を成長させられないと理解しました。
ちょうどその頃、日本の実家に帰省するたびに、自治体からの発達検診の受診案内はがきや視力の検査キットなどが定期的に届いていて、ふと気づきました。すぐに、マレーシアのパパ・ママ友だちに聞いてみると、そもそもマレーシアでは日本で一般的に行なわれているような「発達検診」の制度がなく、子どもの発達度合いを定期的、もしくは特定の時期に専門家に見てもらう、という仕組みが整っていないことがわかったんです。子どもの発達に関して診断できる専門医も国内に5〜6人しかいないので1年以上の予約待ち、時には3年待ちという先生もいらっしゃる上に、診断には高額の費用がかかります。
教育熱心な親は子どもの発達が遅く見えると不安になりがちで、子どもに無理なトレーニングを強制してしまったり、反対に発達の遅れの兆候が出ているのに見過ごしてしまって後で深刻な問題になったりもします。一方で日本の発達検診項目を調べてみると、デジタル化できるものが多く、スマートフォンを使用してマレーシアで展開すれば、専門家などの教育コストも掛からず日本のように誰もが発達検診を受けられるようにできると考えました。
もともと発達検診がないことに加えて、マレーシアはコロナ渦で約2年間の学校閉鎖をともなうロックダウンを経験しています。それにともないASEAN諸国の中でも最も大きな学習ロスを受けているとのレポートがあります。ロックダウンが解除され子どもが幼稚園や学校に戻った現在、小学校に上がってもペンの握れない子どもや、言葉の遅れ、社会性の欠如など様々な課題が浮き彫りになっています。デジタル発達検診はこのような大きな社会課題を解決につながります。
まずは課題の大きな発達のサポートを行いながら子どものデータを収集し、そのデータを起点に子どもの才能や特徴を分析、個別最適化した遊びや学びを提案するというビジネスを作り出すという時間軸に切り替え、「発達検診の普及」を事業の柱にしようと決めました。発達健診は日本では何十年も前から実施されているものですが、東南アジアの国の多くではまだ普及しておらず、しかしこれからこの地域はどんどん豊かになっていくでしょうから、タイミング的には今しかない。しかもテクノロジーを活用することでより効率的、効果的に実施できると思っています。
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