この物語は、哲学者のFrank Jackson氏による1986年の有名な思考実験「What Mary Didn't Know」(メアリーが知らなかったこと)からヒントを得たものだ。メアリーがリンゴを目にした際に体得した赤色に関する漠然とした知識は、クオリアと呼ばれるものである。
簡単に言えば、クオリアとは、意識的な体験を通してしか獲得できない知識のことだ。
好きな曲を初めて聞いたときの主観的な情報もクオリアの1種だ。あなたはそのとき、背筋がゾクゾクするような感覚を覚えて、「実際に聴いてみなければ分からないよ」と友達に言ったかもしれない。音楽理論と音響科学の深遠な知識を魔法のように友達の脳に植え付けても、おそらくうまくいかないはずだ。実際に聞かなければ、友達があなたと同じようにその曲を理解することはできないだろう。
優秀な神経科学者や心理学者、詩人でさえ、失恋を経験したことがない人に失恋の苦しみをうまく説明して、理解させることができないのは、クオリアが理由なのかもしれない。
メアリーに話を戻そう。赤色に関する世界中のすべての物理学的な情報を集めても、実際に赤色を見るという体験がどんなものなのか、彼女に教えることはできなかった。「例えば、白黒の部屋から出たり、カラーテレビを与えられたりすれば、彼女は、赤色を見るというのがどういうことなのか学習できるだろう」とJackson氏は記している。「これはまさしく『体得』と表現できるものだ。彼女は『つまらない』とは言わないだろう」
この理論は長年議論されてきたが、知識の中には言語では説明がつかず、人間の意識に固有のものが存在すると主張する人々によって、論拠として示されることが今でもよくある。つまり、クオリアが実在する場合、その内部の仕組みを言語化するのは極めて困難であるため、プログラムするのも非常に難しい。それが人間とAIを隔てる壁になっている可能性もある。
あるいは、そうではないのかもしれない。私たちが、指紋が滑り止めの役割を果たす仕組みについて少しずつ学んでいるように、何らかの方法でクオリアも解明できる可能性もある。
本当に解明できるのだろうか。
端的に言えば、分からない。専門家の間でも意見が分かれている。新たな視点を提示する専門家もいる。しかし、大半は仮説の域を出ていない。実際のところ、クオリアについて、科学的に説明することはできない。
メアリーの物語を読んで、クオリアに関して考えの異なる部分があったかもしれない。納得できない人もいるだろう。思考実験には、大抵多くの論理的な抜け道がある。メアリーの部屋も例外ではない。
部屋の影に色がついていたかもしれない、という反論もあった。「魔法の図書館」なら、私たちには想像つかない方法でメアリーに知識を授けたはずだ、と主張する者もいる。後者の論点について、哲学者のDaniel Dennett氏は、興味深い(そしてAI関連の大きな問題と強い関係を持つ)反論を提示している。
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