社内ビジネスコンテストやオープンイノベーションなどの取り組みが大企業で盛んになり、新たな事業の萌芽が次々に生まれている。しかし、そこから事業化に至るまでには、大企業ならではの数々の障壁が立ちはだかり、担当者も四苦八苦しながら新規事業に挑んでいるのが実態と言える。
NTTコミュニケーションズ(以下、NTT Com)は、独自に社内新規事業支援プログラム「BI Challenge」を創設し、そこからワークスペースの検索・予約サービス「droppin(ドロッピン)」が商用化を果たしているが、そこに至るまで、そして現在も苦難の連続だと、droppinの事業推進リーダーであるNTT Com スマートワークスタイル推進室 イノベーションセンター兼務の山本清人氏は話す。
大企業内で新規事業を始めるとはどういうことか、さまざまな困難を乗り越えるためにどのようなことをしてきたのか。NTT Comの山本氏と同社の新規事業の取り組みに伴走しているフィラメント代表取締役CEOの角勝氏が対談して深掘りした。
山本氏は、NTT Comの社内新規事業支援プログラムであるBI Challengeの立ち上げに携わり、その取り組みのなかで自らdroppinをプロジェクト化した。droppinはテレワークなどに最適なスペースを見つけられるサービスで、場所の検索から予約、利用料支払いまでが1つのアプリで完結する。
今となっては珍しくないスペースレンタル事業ではあるが、droppinのアイデアが生まれたのは競合がほとんどいなかった2018年のこと。コロナ禍に入る以前から事業化に向けて検証を重ね、2021年10月に商用サービスの開始にこぎつけた。個人ユーザーはもちろんのこと、最近はテレワークを推進している企業の法人利用に向けてもアプローチしているところだ。
「在宅勤務を推奨している企業の社員であっても、自宅が業務に向いていないせいで、従業員が個人でコワーキングスペースやカフェを間借りして仕事していることも多い。これでは働きがいにつながらない。従業員の働き方改善を目指すために、オフィス外に従業員のためのテレワークスペースを持ってはどうか、というのがわれわれの提案」と、山本氏は事業立ち上げの背景を語る。
現在のところ全国400箇所以上の施設と提携し、2022年度は1000箇所への拡大を目指しているというdroppin。事業化までには大企業だからこそぶつかった壁も数限りなくあったというが、順調に成長しているようにも見える。角氏から「事業成長のキーポイントだったと思えることは何か」と問われた山本氏は、キーワードとして「大企業ならではの戦い方」を挙げ、「一言でいえば、ブランド、ネームバリュー、会社のアセットをフル活用すること」とした。
droppinは、サービスを利用するユーザーと、スペースを提供する事業者の両方が存在することで成り立つサービスのため、貸し側となるビジネスパートナーを増やすことも事業拡大の鍵となる。そこで、伴走していた角氏から紹介され、「一番目のパートナーになってくれた」のがJR東日本グループのベックスコーヒーショップだった。
「NTT Comが既存事業で培ってきた強みを伝えつつ、droppinがそれと親和性のあるサービスである」ことや、「NTT Comが非通信の領域に本気で取り組もうとしている」ことをアピールしたという山本氏。相手に理解してもらい、胸襟を開いて話を聞いてもらえたのは、「NTT Comというブランド、ネームバリュー、アセットがあったからこそだと思う」と振り返る。「ベンチャーや個人が話を持って行っても、まずは実績ができてから、と取り合ってもらえない。大企業だからこそ、トントン拍子で話が進んだのだと思う」と話す。
しかし、重要なのはその後だ。実証実験を進めることができ、ベックスコーヒーショップとの提携についてニュースリリースを出すに至ったが、それによって「社内の経営層にも進捗が順調なこと、パートナーがしっかりいること」が伝わり、さらには他の事業者からも参加希望が寄せられるようになって「1粒で3度おいしい」状態になったとのこと。
これに対して角氏は、「(NTT Comという)企業の与信(信頼)があるからベックスコーヒーショップを巻き込めた。しかも、ベックスコーヒーショップの与信(一般の知名度)もあるから、そことの提携を可能にした山本氏に対する社内からの与信(信用度)も高まり、droppinの与信も高まった。そんな風に“与信の積み上げ構造”ができあがったことが大きい」と相づちを打つ。
角氏は、とりわけ社内からの与信の高まりが大企業の新規事業では大きな意味があると指摘する。「企業というのはつまるところ既存事業を反復、洗練、継続するためのもの。そこに新規事業をつくろうとすると、既存事業に相反する活動になるから対立構造が必ず発生する。人的リソースや予算の取り合いなる」。したがって、「社内や既存事業に対して理由付けをきちんとしない限り新規事業は進まない。そのためにも社内からの与信は重要」というわけだ。
ただし、いくら新規事業のアイデアが優れていて、社内に対してまっとうな理由付けができたとしても、「担当者が信頼できる人でなければならない」ことが大前提だと角氏。BI Challengeの運営側として、新規事業のアイデアを年間数十チーム見てきている山本氏自身も、「たしかに最初は人を見る」と話す。新規事業の担当者自身に、その事業や組織から感じられる以上の与信が必要不可欠であることは間違いないようだ。
次に角氏が提示したお題は、新規事業を開発・運営していくうえで「一番苦労したことは何で、それをどうやって乗り越えたか」というもの。これについて山本氏が出したキーワードは「お金のないスタートアップ」だった。
資金面での苦労は「まだ乗り越えられていない」と率直に語る山本氏だが、「今振り返ってみれば、あのときにこういう工夫をしておけば良かった、と考えることはある」という。それは、「商用サービスを開始する前に、営業活動における道筋、勝ち筋を見つける準備期間を取っておけば良かった」というものだ。
大企業は多くの人材、資金を抱え、さまざまなアセットがあるとはいえ、新規事業でそれらをすぐに活用できるわけではない。実績がない以上、「いきなり全力で営業部隊が動いたり、プロモーションコストをかけたり、というのは難しい」のが実情だ。とはいえ、資金やリソースがないなかでも何らかの営業活動をしなければサービスが認知されることもない。
そのため、「地道に1件ずつ、チームメンバー1人1人が営業する」ことになる。droppinにおいても、パートナーや法人ユーザーを獲得するために「メールや電話でアポを取って商談に伺ったり、ホワイトペーパーを作って説明したり、ウェビナーを開いたり。お金がないなかでどう認知してもらうか、リーチできるかを試行錯誤してきた」と山本氏は明かす。
droppinでは、そうした活動が商用化後になってしまった。「手前の段階でどんどん営業して提案し、導入検討状態のお客様を何十社もつくる。そういう事業拡大のトラクションとなる実績をあらかじめつくれれば、後で営業部隊も“そういう売り方をすればいいんだ”ということがわかるし、ピンポイントでどこにプロモーション予算をかければいいのかにも気付ける」と話す。
ただし営業部隊が売り込んでいくには、その新しい商品・サービスに対する正しい理解や、「売り込みのインセンティブ、モチベーションになるものも必要」と角氏。それには、新規事業によって売上がどれだけ上がるか、コスト・時間がどれだけ削減できるか、という具体的な数字を提示することも大事だが、「こういう人がどう使うと、どんな風に楽になった、といった実例、共感できるエピソードがあるといい」とアドバイスする。
かつて山本氏は営業部隊に所属していたが、「このプロダクトは、こういう課題に対して、こういう価値を提供するものだと論理的に説明されても、なかなか意図が伝わってこない。むしろこういう売り方をすると成功した、といったストーリーがあると、営業スタッフそれぞれが想像を膨らませて自分たちで売り込んでいくようになった」と角氏のアドバイスに同意する。そうした「共感できるエピソード」づくりが、限られたリソースのなかで営業活動していくうえでの1つの「勝ち筋」になり得ると言えるだろう。
最後のお題は「新規事業をつくろうとしている人にとって一番大事なことは何か」。これに山本氏は「willとパッション」と答えた。「新規事業は苦労しかない。苦労するのは当たり前」と断言する同氏。「そのなかでくじけずにやり続けられるか、やり抜く力があるかどうか」にかかっていると話す。
droppinのアイデア自体は「そこまで突飛でも、独創的でもない」と控え目に見ているが、「事業として成り立たせるまで続けていけるかどうか」が成功に向けた最も重要なポイントだと感じている。そのためには「こういうことをやりたいんだという強い意志、何があってもくじけないというパッションが必要」だとする。
山本氏にとってそのモチベーションは、「コロナ前は外での打合せが多く、1日に何度もカフェに入って時間調整したり、テレワークしたりしていた。支払いは自腹。仕事に適した場所でもない。この大きなペインをなんとかしたかった」という原体験からくるもの。また、自ら手を挙げて新規事業にチャレンジすることを決めた以上、「成功したいという思いがすごく強かった。失敗したとしても、最後までやり抜くことで自分のためになるはず」という確信もあった。
ただ、そうは言っても、自分の気持ちだけでアイデアの実現まで走りきれるようなものでもない。大きな組織のなかで新規事業を始めようとすれば、先述の通り既存事業との対立構造が行く手を阻む。「新規事業のアイデアより大事なのは、実現までに立ちはだかるいくつもの障壁をどうやって乗り越え、迂回し、壊すか。その方法を考えるのにまたアイデアが必要になる」と角氏は言い、乗り越えられずに事業化できなくなるものがほとんどだと話す。
乗り越えるには「対立構造に陥らないこと、つまり、どうすれば社内の人たちから共感を得られるのか」を考えなければならず、そこには「社内政治力、根回し力みたいなもの」が必須だと山本氏も理解している。「大企業のアセットというのは、突き詰めるとそれは“人”。アセットを動かすのも結局は人であって、どうやって人に動いてもらえるようにするかを考えなければいけない」と力を込める。
喫緊の課題は法人ユーザーの拡大。まずは企業にトライアル導入を勧めたいとしている。「企業の在宅勤務・テレワーク推奨の裏で個人負担が増えているのは不幸なこと。従業員がテレワークで安心して生産性高く働ける場所を提供できるよう、働き方改革、ワークライフバランスをアピールしている企業と一緒に社外オフィスのあり方を考えていきたい」。
いずれ事業が大きくなっていけば「droppinは新規事業から既存事業になる。投資額に合った成長戦略が求められ、動きが鈍くなったり、新しいチャレンジがしにくくなったりする可能性もある。そこを意識しておかないと大きく成長していくときの足かせになる」とも予測する山本氏。その段階でも大事なキーポイントは“人”になるだろう。人をどうやって共感させ、動いてもらえるようにするかは、これから先もずっとつきまとう課題になるのかもしれない。
【新規事業で陥りがちな「アイデアの落とし穴」について山本氏が解説する連載はこちら】
【Who編】大企業の“現役”新規事業推進リーダーが語る「アイデアの落とし穴」
【What編】大企業の“現役”新規事業推進リーダーが語る「アイデアの落とし穴」
CNET Japanの記事を毎朝メールでまとめ読み(無料)
ものづくりの革新と社会課題の解決
ニコンが描く「人と機械が共創する社会」
住環境に求められる「安心、安全、快適」
を可視化するための“ものさし”とは?
「程よく明るい」照明がオフィスにもたらす
業務生産性の向上への意外な効果
ZDNET×マイクロソフトが贈る特別企画
今、必要な戦略的セキュリティとガバナンス