企業の新規事業開発を幅広く支援するフィラメントCEOの角勝が、事業開発やリモートワークに通じた、各界の著名人と対談していく連載「事業開発の達人たち」。
現在は特別編として、森ビルが東京・虎ノ門で展開するインキュベーション施設「ARCH(アーチ)」に入居して新規事業に取り組んでいる大手企業の担当者さんを紹介しています。
今回は、スズキのEV事業部 eモビリティ開発課 チーフエンジニアであるラジャ ゴピナスさんにご登場いただきました。ラジャさんは、2021年グッドデザイン賞(金賞)を受賞した高齢者向け電動モビリティ「KUPO(クーポ:空歩)」の開発責任者です。前編では、来日してからのエピソードと、KUPOの誕生秘話について伺いました。
角氏:新規事業に挑戦するときには失敗する可能性も成功する可能性もありますが、どちらにしても学びが得られるものです。この連載はそういった話を共有し、読んでいる人に事業開発の達人になって欲しいという趣旨でいろいろな方々を紹介しています。なので、日本に来てスズキに入社され、日本人もやっていない新しいことに挑戦されているラジャさんを知って、ぜひお話を聞いてみたいと思いました。
ラジャ氏 :失敗の話ならたくさんあります(笑)
角氏:ぜひお聞きしたいのですが(笑)、その前に自己紹介をお願いします。
ラジャ氏 :1991年に南インドのチェンナイ市で生まれて、2012年にインド工科大学を卒業してから来日しました。インド工科大学を卒業してから米国へ行く方は多いですが、自分の家はそんなにお金持ちじゃなかったので奨学金で行ける大学院を探しました。ただ奨学金が得られるだけでなく、新しい道にチャレンジできるというアピールを受けて日本を選びました。
角氏:流暢に日本語を話されていますが、当時は?
ラジャ氏 :全く分からなかったですね。ただ、全く分からない場所で活動できれば、どこでも活動できると考えて来日しました。ストレスも感じましたが、誰も知らないところに来て、白紙みたいに何でも描けると楽しみにしていました。アドレナリンが止まらなかったです。
角氏:何とかなると思ったんですね。
ラジャ氏 :21歳で来日し、早稲田の大学院に入学しました。授業が英語だったので、2年後の卒業時も日本語はまだ下手でしたね。スズキと早稲田大学が共同研究をしていた関係で、卒業後にスズキに入社しました。
当初は6カ月契約社員として入社しました。その6カ月で日本語でコミュニケーションできるようになってくれたら正社員として継続、ダメだったらそこで終了と条件が提示されました。その期間中に通常業務と並行して日本語の勉強を頑張りました。それで職場でコミュニケーションを取れるようになって正社員になりました。
角氏:今は生活支援モビリティに携わられていますが、いきなり新規事業を担当していたわけでは……?
ラジャ氏 :そうではなかったですね。私は元々プログラマーでした。軽自動車事業部で車のECU(Engine Control Unit:自動車を電子制御するコンピュータ)のプログラミングをしていたんです。スペーシアやハスラーなどに私が書いたプログラムが入っています。
角氏:それはそれで楽しそうですけど。
ラジャ氏 :最初は楽しかったのですが、大企業なのでどうしてもキャリーオーバーの仕事が多かったんですね。「新しい機能を入れたい」といっても、その機能のせいで何か起きたらブランドイメージが落ちるのでは? そういう議論が多かったです。
角氏:大企業ではありがちな話ですね。
ラジャ氏 :会社としてはそれが正しいです。私のアイデアややる気のせいで何かが起きてしまったら、全社員が負担を受けます。国内軽自動車開発の組織が大きすぎたのでチャンスを待っていました。そんな時、スズキが次の100年を生きていくために新規事業や新規商品を作っていかないと生きていけないということで、それに取り組むために2017年に新しく部署ができました。参加募集メールが全社員に展開されて、1分後に希望を回答しました。
角氏:即レスだ(笑)。そこから今につながるチャレンジになっていくわけですね。
ラジャ氏 :入社時の部署も悪くなかったですが、新しいことをチャレンジするチャンスは中々ありませんでした。日本の多くの大手企業が次の100年の事業に向けて、危機感を持って新しいことをチャレンジできる部署を立ち上げると推測していました。スズキも同様のことをやると入社の時から感じていて、それを待っていました。
角氏:どんなミッションがあったのですか?
ラジャ氏 :具体的な構想はありませんでした。私は自由に描ける白紙が好きです(笑)
角氏:それはラジャさん的にはわくわくする感じですね。
ラジャ氏 :ジャックポットですね(笑)。誰向けに何を作るかは決まってなかったです。スズキは移動を提供する会社なので、それだけは決まっていました。それも決まってなかったらもっとワクワクでしたね……(笑)
角氏:そこからどうしたんですか?
ラジャ氏 :とりあえず日本で新商品のニーズが最もあるのは誰向けかを考えました。日本は高齢者人口が多く、直接ターゲットする移動手段もなく、困りごとが多いではないかと考えました。
角氏:どういうことでしょう?
ラジャ氏 :高齢者人口が増え続け、免許返納の制度も厳しくなっています。新ソリューションもなく、旧ソリューションも取り下げられて、絶対に困ります。そこで高齢者向けの移動手段を考えようと決断しました。デザイン思考を取り入れて、ユーザーの本音を深掘りして、何回か失敗して生み出したのがKUPOという商品です。
角氏:ユーザーのニーズ、課題を把握していき、こんなソリューションがいいのではという仮説を徐々に組み立てていったと。
ラジャ氏 :われわれのメンターであるWHILLよりサポートを受け、シリコンバレーで商品開発を勉強しながら新しい視点から商品を考えてみたらどうかと打診されて、6カ月間渡米しました。行く前の計画ではコンセプトを考えて帰国するところまででしたが、行ってやってみたら試作品を作るところまで進みました。本社から離れている場所の方がいろいろ進めやすかったですね(笑)
角氏:新規事業を作るためのメソッドを学びに行ったが、向こうで作っちゃったほうが早いとなった。制約や固いルールがシリコンバレーには存在しなかったんですね。
ラジャ氏 :固いルールは、大企業には絶対必要なものです。会社で「固い」ルールをなくすと100年やってきた「通常」の業務ができなくなります。しかし、その仕組みの中では新しいことは難しい。それは、スズキだけじゃなくどんな会社でも一緒だと思います。それが、シリコンバレーで「出島活動」することでわかりました。
当初本社で計画した段階の目的として、デザイン思考を学んで当社の電動いす「セニアカー」から派生した新製品を作ろうとしていたのですが、現地に行って1ステップ目からやり直しが入りました。デザイン思考を取り入れてみたら、ユーザーニーズがわれわれの推測と違うと分かりました。コンセプト作りから最終品までスムーズに進みました。
角氏:思っていたより進んだんですね。
ラジャ氏 :プロジェクトが始まる前に企画書を提出し、帰国後に報告書を提出したのですが、企画書と報告書の中が全く違っていました。通常であればこれはクビですが、皆さん結果に共感してくれたため許されました(笑)
角氏:ハードウェアをシリコンバレーで作るってそもそもできることなんですか?モビリティのプロトタイプを作るのは大変だと思うのですが。
ラジャ氏 :われわれが作って持って帰ったのはPoCです。品質を一旦置いておいて、とりあえず思いを形にし、それをユーザーへ見せて試してから開発を進めようと。注力したのは物作りよりも仲間作りです。シリコンバレーには優秀な人が集まっています。イベントなどで出会う人に声をかけて、コンセプトに共感をしてもらって、いいチームを組めました。
角氏:KUPOにはどんな機能があるんですか?
ラジャ氏 :KUPOは基本的に押して歩く商品です。押す力をモーターでアシストしてより歩きやすくします。高齢者は移動そのものよりも、いつまで自分の足で歩けるかを心配しています。だから押して歩くことをメインに考えました。歩くだけでは長距離移動できないので、歩き疲れたら単純な操作で「トランスフォーム」をして座っても乗れます。単純に言うと電動車椅子にもなる押し車ですね。
角氏:移動するという機能ではなく、歩くという体験を欲しがっていると。
ラジャ氏 :そうですね。年を追うごとに、歩く距離や歩数は減っていきます。階段や坂を登れなくなり、自分の足で歩くときにハードルが出てくる。そこにスズキは、セニアカーで移動範囲を提供しました。私たちが考えたのは、片道だけでも自分の足で歩き、帰りは乗って帰ってくれば歩数は維持できるということです。元々歩けていたところをもう一度自分の足で歩けるようにしようと考えて提案したのが、KUPOという商品なのです。KUPO自体は「空」と「歩」でできた言葉です。青空の下で元気よく散歩するシーンを想像した商品名です。
後編では、KUPOを市場にリリースするにあたっての格闘や大企業ならではの苦労、そして角勝も前のめりになった今後の事業展開構想の様子をお伝えします。
【本稿は、オープンイノベーションの力を信じて“新しいことへ挑戦”する人、企業を支援し、企業成長をさらに加速させるお手伝いをする企業「フィラメント」のCEOである角勝の企画、制作でお届けしています】
角 勝
株式会社フィラメント代表取締役CEO。
関西学院大学卒業後、1995年、大阪市に入庁。2012年から大阪市の共創スペース「大阪イノベーションハブ」の設立準備と企画運営を担当し、その発展に尽力。2015年、独立しフィラメントを設立。以降、新規事業開発支援のスペシャリストとして、主に大企業に対し事業アイデア創発から事業化まで幅広くサポートしている。様々な産業を横断する幅広い知見と人脈を武器に、オープンイノベーションを実践、追求している。自社では以前よりリモートワークを積極活用し、設備面だけでなく心理面も重視した働き方を推進中。
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