エストニアのようなデジタルIDを作りたい--市民と力を合わせて行政DXに挑む熊本県八代市

 人口減少や高齢化、雇用の減少、そして過疎エリアの交通インフラなど、年々深刻化する日本の地域課題。その解決案として、最近よく聞くのが「CivicTech(シビックテック)」や「GovTech(ガブテック)」である。CivicTechにおいては、IT知識を持った市民自らが主体者になるが、その市民はITリテラシーの高いエンジニアに限った話ではない。問題発見と問題解決、そしてその考察ができるという機会はすべての市民にあり、よってすべての市民が主体者なのだ。

 CivicTechやGovTechにおいて、世界からも注目されている国の1つがエストニアだ。物理的に国が奪われたとしても、オンライン上に電子的に国を“データとして保護”しておくことで、いつでもまた再出発でき、国民を守るという考えのもと、国家がOSを提供し、その上で民間がサービスを開発・提供しやすくしている。IT教育が学校に積極的に取り入れられ、国民の高いITリテラシー、あらゆるものが効率化されている。

 日本では「電子国家」として近年よく聞くようになり、数多くの企業や地方自治体が、業務改善の参考としている。日本において、行政の存在は市民を支援するというよりは、むしろ市民の問題解決への取り組みの障害になっているようなことが少なくない。そんな中、この情報過多な世界を生き延びていくために、市民と力を合わせて大きな課題に立ち向かっていく街があった。それが、熊本県八代市である。

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 5年前からエストニアに移住し、現地のタリン工科大学を卒業した筆者(27歳)が、エストニアのような業務改善やデジタルIDの発行に向けて動き出した熊本県八代市の取り組みについて紹介する。ただし、あくまでも筆者の実体験に基づく内容であることをご理解いただきたい。

プログラミング未経験の市役所職員がアプリ開発

 CivicTechの先駆けは、米国で2009年に発足したNPO「Code for America」のようだ。この団体は、行政や地域の課題を解決するため、エンジニアなどの技術者を各地方自治体に派遣し、地域や地方自治体の課題発見から分析、ウェブサービスやアプリの開発などをしている。

 CivicTechを一般化していくことは、市民の行政へのより良い参加を可能し、また政府が市民にサービスを提供するのを支援する仕組みの構築につながる。これは、行政の課題を市民が、市民の課題を行政が解決することで、市民と行政がより強固な関係で結ばれることでもある。

 2020年の10月から11月にかけて、熊本県八代市はSUNABACOが提供する、2カ月間に渡るCivic Tech Innovator育成研修に取り組んだ。このプログラムでは、業務改善などを目的とした技術や考え方などを毎週土日に1日4時間ほど学び、最終的にはチームで行政の業務改善のためのサービスやプログラムを自ら実装する。

 参加者は市役所とトヨタ自動車九州に勤める職員で、ほとんどの方が、これまでプログラミングとは無縁な生活を送ってきた。ノーコード(コードをかかないこと)で業務改善などを目的としたアプリやサイトを作る方法を学び、参加者同士でチームを組み、社会に価値あるプロダクト開発に取り組んだ。中には、ノーコーディングでは自分で作りたいものを実装するのに限界を感じ、自らコーディング技術を勉強する人まで現れた。

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 エストニアでは、ハッカソンやテクノロジーに関するイベントが毎週開かれている。このハッカソンには総理大臣が顔を出すこともあり、エストニア行政のテクノロジーやスタートアップへの関心と理解の高さがうかがえる。また、エストニア行政と民間企業が協力して、世界的ハッカソンも開かれた。

 参加者は、エンジニアに限らず、行政関係者や役所に勤める人などもおり、筆者自身も行政の統計機関で働く人とチームを組んだ経験もある。エストニア経済省下の統計局「Statistics Estonia」は積極的にハッカソンを開いたり、データの提供などをしていることが、現地のイベントで伺えた。国や地域の抱えている問題を、市民に共有し、ソリューションを一緒に考える。そのために必要なモノは国が提供するようなサイクルがエストニアにはある。このような仕組みや文化が、社会を創り、国が国民を、国民が国を未来へ運ぶことにつながるのだろう。

 今回熊本県で行われたプログラムの中では、民間企業と市役所のチーム、市役所の中だけで編成されたチームなど、珍しいチーム構成でアプリケーションが制作された。制作されたものは、電子意見による提案制度や、電子回覧板、ボランティア活動の活性化や、健康管理アプリ、そしてデジタルID制度などだ。これらが、2カ月前までテクノロジーもプログラミングも知らなかった行政や民間企業の人たちによって開発されたのだ。

 市民がどうやって業務改善をしているのかを実際に手を動かして知ることは、行政の市民への理解につながり、市民による問題解決を支える理解も深まる。また、市民と行政が一緒に手を取り合い、1つの問題解決に取り組むエストニアのような姿勢を、熊本県八代市は示したと言えるだろう。

エストニアのようなデジタルIDを作りたい!

 「エストニアのようなデジタルIDを発行したい!」ーー今回のプログラム参加者で、八代市役所に勤める篠原秀和さんは強く訴える。

 「公務員である以上、八代が、今後も継続的に発展していけるよう、その時、その時で、今後の発展につながる最善の策を講じていく必要がある。少子高齢化などの影響を受け、全国的に人口が減少している中で、大都市に人口が流出・集中していくことは、大都市と地方との格差を広げるだけでなく、日本の文化や魅力、多様性まで薄れていくことが懸念される。そこで我々は、都市の体力と言える人口を増やしていく(減少をくいとめる)ための手段を模索していく必要があると考えた。急に人口を増やすことは難しいが、将来的な流入(UIJターンなど)へとつなげていくため、八代市の認知を高め、八代市との関わりを持ってくれる人口を増やしていく手段として、八代市デジタル志民証の発行へと動き出した」

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 デジタルID「e-residency」の発行で、世界から注目を浴びたエストニア。e-residencyを発行すれば、エストニアに行かなくても、エストニアに法人を作ることができるという世界初の試みは、世界中に衝撃を与えた。人口約130万人、資源もお金もないソ連から独立したばかりの小国エストニアは、デジタル化に活路を見出し、これまで突き進んできた。

 実際に、e-residencyの取り組みによって注目を浴びたことで、数多くの国や地域からエストニアへ人が訪れたり、会社を設立したりしたことは、1つの成功と言える。エストニア最大のテックカンファレンス「Latitude59」には、毎年多くの人が訪れ、新たな事業が生まれる機会を生んでいる。エストニアのような小さな国が、世界を牽引していくその姿は、人口も経済力も縮小する地方自治体にとっても光となる。

 「やつしろ志民証」は、八代市がお店の会員証と同様に、八代市に関心を持ってくれる人に対し、その『絆』を目に見える形にすることで、親近感を高めてもらうことを狙いとしている。その絆の形である「やつしろ志民証」の所持者には、定期的に八代市の情報を知らせるとともに、八代に来訪した時には、観光や買い物が割引され、市の施設も市民と同じように利用できるなど、メリットが付与される仕組みで考えられている。

 そして最も重要なのは、こういったプロジェクトを行政が民間へ丸投げするのではなく、職員自らプログラミングやテクノロジーを学び、PCを開いて開発に携わっているという点だ。

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 「やつしろ志民証」の企画と開発を進める篠原秀和氏は、「『やつしろ志民証』を通して、八代市と八代市に関心がある人とのつながりを見える化し、八代市に関心がある人との『絆』を太く、強くするサービスを提供していくことで、将来的に八代市が多拠点居住の場の1つとして、また、移住、定住先として、多くの方の選択肢の1つになれればと考えている。サービスを公開できた際には、興味本位で構わないので、登録サイトを覗いていただき、良い悪いに関わらずSNSで感想を呟いていただければ」と語る。

CivicTechにおける重要な3つの要素

 CivicTechは、大きく分けて3つに分類できる。

  1. 「市民から市民へ」=市民間のつながりや市民の流動性の改善
  2. 「市民から政府へ」=政府と市民の間のやり取りの質と頻度の向上
  3. 「政府の技術力およびリテラリー向上」=政府は市民にサービスを提供する上で、より効果的かつ効率的に

 世界的にCivicTechは投資コミュニティから多くの支援と関心を集めている。 数年前までは、CivicTechやGovTechというとスパム的なプロジェクトが多かった。しかし、行政内部の人間へのリカレント教育を土台に、一緒になって問題解決に取り組むことこそ、希望も未来も薄まっている今の日本に必要なことであると考える。市民も政府も、お互いに問題を解決するのを待つのではなく、欲求不満を利用して解決策を考え出し、ともに問題解決へとつなげるべきではないだろうか。

熊本県八代市が示した日本に必要な一歩

 これまでCivicTechやGovTechと呼ばれるもので、社会解決につながるものは少なかった。プログラミングやテクノロジーはリテラシーの高い人だけのものだと思われ、情報過多で変化の多い時代に、行政やITリテラシーの低い人々は置いていかれるようになった。しかし、今やコーディングをしなくてもツールが開発できる時代になり、最先端技術を知らないからこそ、見えている社会問題もある。それを解決できるのは、全市民である。

 八代市のデジタル化(DX推進)に関して、八代市長の中村博生氏はこのように話す。

 「地方都市がDXを実現するためには、まず行政が積極的にデジタル化を進め、その変化を市内全域に波及させていく必要があると考えている。今回、デジタル化に求められる知識・技能、及びそれらを用いた課題解決能力を持つ人材育成研修を企画、実施したところ、職員が自ら希望し、週末の貴重な時間を使って、学びを得、その学びを活かして、業務の効率化や市の発展につながる提案を行ってくれたことを大変嬉しく思っている。このような研修を継続するとともに、提案があった内容を市の施策に取り入れていくことで、DXに関するノウハウを蓄積していきたい。今回の取り組みは、本市のスマートシティに向けた歩みの第一歩であると確信している。今後も、この歩みを止めることなくICTなどの先端技術を用いて地域の機能やサービスを効率化、高度化し、市民が安心して暮らし、働くことができる、持続可能な都市を目指していく」

 問題発見ができ、その問題が解決できるのか否か、それは少しテクノロジーを知っているだけで判断できるようになる。莫大な資金などは必要なく、インターネットを活用すれば、直面している問題を解決する方法と技術が無料で公開されている。電子化を他人事にせず、市役所の職員が、電子国家エストニアの立ち回りを参考にし、自ら主体となって取り組んだ熊本県八代市のプロジェクトは、これから日本が歩むべき新しい一歩を示したのではないだろうか。

齊藤大将

Estify Consultants OÜ 代表

テニスコーチを辞め、エストニアのタリン工科大学へ入学。在学中に現地案内・コンサルで起業。エストニアでのハッカソンでの受賞歴や、登壇多数。大学院での研究テーマは文学の数値解析と小型人工衛星研究開発。現在、エンジニアやデータサイエンティストとしてオリジナル・受託開発をしつつ、地方でインキュベーションを生むクリエータ集団SUNABACOに関わり、Co-Growing空間の創作もしている。またVR学校(私立VRC学園)の運営なども行っている。

Twitter @T_I_SHOW_global

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