会員制のファンコミュニティを開設できるアプリ「Fanicon(ファニコン)」を運営するTHECOO(ザクー)は、7月には約7億円を調達するなど、エンタメ界でいま注目のスタートアップだ。Faniconでは、AAAの宇野実彩子さん、ACIDMANの大木伸夫さんなどの音楽アーティスト、全日本プロレスなどのスポーツチームなど、多様な業種で1700以上のコミュニティが開設されている。
THECOOは2014年の創業以来、エンタメ界では珍しいSaaS型のビジネスモデルを強固に構築してきた。3月には、コロナ禍におけるライブエンタテインメント業界の新たな収入源の創出を目指して、チケット制ライブ配信サービス「Fanistream(ファニストリーム)」の運営を開始している。
独自性が異彩を放つTHECOOだが、その根底にあるのは同社代表取締役 CEOである平良真人氏の魂の叫びともいえる人生観だった。
「もともと、ロックンローラーになりたかった。働くつもりもなくて」ーー。こう話す平良氏だが、経歴は実に華々しい。一橋大学を卒業後、伊藤忠商事、ドコモAOL、ソニー、グーグルと、誰もが知る一流企業を渡り歩いてきた。
決めたらとことんやりぬくタイプで、就職すると決めてからは、商社とマスコミに狙いを定めて奔走した。伊藤忠商事では、思いもよらなかった鉄鋼部門に配属されたが、ここでビジネスのいろはを叩き込まれた。「仕事ができるだけじゃなく、人間的にもすごく面白くて優秀な方々に囲まれて、毎日が100本ノックみたいな感じだった」(平良氏)
インターネットの革新性に大きなインパクトを感じて転職したドコモAOLでは、デジタルマーケティングやビジネス開発に携わり、初めての海外赴任も経験した。それからずっと、インターネット領域を歩むことになる。ソニーとグーグルには、元同僚や友人の誘いで縁を持ったという。
在籍した4社はいずれも素晴らしかったと平良氏は振り返る。気づき、学び、出会いにも恵まれた。「CPUをいくつ持っているんだろう」と思うほど優秀なビジネスパーソンと仕事をともにし、鍛えられたという。しかし、いつしか「つまらない」と感じるようになっていった。
「すごい頭脳の持ち主が、必ずしも革新的なことやお客さんのためになることをするのかというと、そうでもない。大企業であればあるほど、評価されることに、人は縛られてしまう。お客さん、ユーザー、パートナーという目の前の人だけを見ていればいいのに、そうじゃなくなっていく姿をずっと見てきて、自分はそれは嫌だとやっと気がついた」(平良氏)
自らの理想とはかけ離れた環境に身を置き、自分では何も成していない。平良氏がいう「つまらない」とは、会社に対しての不満では決してなく、自分に対する文句だった。20年近くサラリーマンをやって、「向いてない」と気がついたのだという。
起業に伴走してくれたのは、THECOOのCOO/マーケティング責任者を務める下川弘樹氏ら、グーグル時代の元メンバーだった。いまの自分をつまらなく感じる本音を吐露すると、「辞めるなら、一緒に何かやろう」と言ってくれたのだ。「一緒に何かやりましょうって言ってくれるって、幸せだなあと思った。彼らと一緒なら、何かを成せる。これが起業の始まりだった」(平良氏)
2014年のTHECOO創業当時は、同社の柱であるファンコミュニティアプリのFaniconはまだ誕生しておらず、得意とするマーケティング支援から事業化した。インフルエンサーマーケティング事業やB2CサービスのFaniconなど、新規事業は走りながら作ってきた。
グーグル時代に学んだ「ビジネスをどうスケールさせるか」というスタンスは、染み付いていたし好きだった。かつ、それをテクノロジーで実現するものを作りたい、とここまで突っ走ってきた。一方で、平良氏が大事にしたいと切に願い、楽しいと感じ、追求していることは、もう少し別軸にある。
「目の前にいるお客さん、ユーザー、パートナーが、とにかく喜んでくれることをやれば、結果としてビジネスは絶対についてくる。それを体現し続ける会社を作りたいと思っている」(平良氏)
大企業になりたいし、必ずなろうと思っている。しかし、“大企業になっちゃったよね”と言われないような大企業になりたいと平良氏。そのためには、メンバー個々人がモチベーション高く、自律的かつ有機的に動くことが不可欠だが、THECOOではこうした挑戦が脈々と続いてきたようだ。Faniconをはじめ、THECOOが提供しているサービスは、どれも平良氏が考えたものではなく、社内のメンバーから「これをやりたい」と上がってきた声が形になったものなのだ。
「結局、何のためにこの会社が存在しているのだろうと考えると、やりたいことがある人が集まって、面白がってチャレンジできる環境があれば、世の中には社会課題がいっぱいあるけど、それらを1つずつ解決していくことにつながるんじゃないかと。起業した根幹には、そういう会社を作りたいという想いがあったのだと思う」(平良氏)
THECOOが掲げるビジョン、“「できっこない」に挑み続ける”。これは平良氏にとっては、理想の会社の実現を経営者として追求し続ける、壮大な実験にほかならない。
そんなTHECOOが手がける、会員制ファンコミュニティアプリFaniconは急成長中だ。同社のインフルエンサーマーケティング事業の一環で開催した、インフルエンサーとそのファンが集まるオフ会で、“クローズドなファンコミュニティの可能性”を感じたことがきっかけで生まれたFaniconは、わずか2年半で1700以上のコミュニティ開設に至った。
現在は、インフルエンサー、YouTuber、アーティスト、ロックバンド、俳優、スポーツチームなど、ファンを持つ多様な人たちがファンコミュニティを作り、ファンと近しい距離感でコミュニケーションを取っているという。
「ファンクラブビジネスに置き換えると、加入者が約2000名規模でなければ、ファンクラブは開設されない。これはおそらく、Zepp Tokyoでワンマンライブを開催して、2DAYSを満席にできるくらいの集客力がある人で、そんなにはいないはず。でも実際には、ファンを持つ人はもっと大勢いるし、みなさん1人くらいは誰かのファンだとすると、世界中がFaniconのマーケットだといえる」(平良氏)
Faniconの主なユースケースは3つ。(1)そもそもファンクラブを新設する場合、(2)既存のファンクラブと並行して双方向コミュニケーションを取れるコミュニティ機能として利用する場合、(3)多言語対応したアプリに魅力を感じてファンクラブごとFaniconへ移行する場合だ。現在は、約100名のファンコミュニティが一番多く、コミュニティの目的によって、多様な機能を取捨選択できる。一方で、コミュニティの目的や必要な機能を、自分たちで明確に描ける顧客は少ないという。
そこでTHECOOでは、B2BのSaaSのビジネスモデルをFaniconに転用。レベニューシェア型契約のため、リスクフリーで始められることを提案するビジネス開発チームと、顧客に寄り添いコミュニティの目的設定や必要な機能の取捨選択などをサポートするカスタマサクセスチームが、協働する体制を組んだ。
「グーグルでAdwordsの中小企業向け営業責任者を務めたとき、とにかくクライアントに効果をお返しすることに尽力することで、Adwordsの売上も連動して伸びていくと学んだ。これはファンビジネスにも共通すること。僕たちは、『ファンコミュニティが盛り上がっていること』をKPIにして、ファンコミュニティが盛り上がれば、ファンもお客さんも喜んでいるし、結果として収益も上がるというモデルで取り組んでいる」(平良氏)
Faniconの最大の特徴は、その人のことを大好きな人だけが集まった、完全クローズなコミュニティである点。だからアーティストには、何を表現しても「無条件で全肯定」してくれる安心感がある。結果、「やりたいことを全部やっていこう」と表現の幅も広がってゆく。ファンの新規獲得は狙いづらいが、TwitterやInstagramで認知を拡大し、Faniconでファンとより深く強くつながるという組み合わせによって、ファンをより楽しませることができる。ネット上での誹謗中傷が深刻さを増すいま、こうした安全な場は貴重だ。
今後は調達した資金を元手に、K-POPアーティストのコミュニティ開設を皮切りに、海外展開を加速する構えだ。また、3月に開始した、チケット制ライブ配信サービス「Fanistream(ファニストリーム)」では、アーティストが自分たちで配信可能なスタジオの新設も予定しているという。
特に注力するFanistreamは、もともとは、コロナ禍におけるライブエンターテインメント業界の新たな収入源の創出を目指したサービスだが、平良氏は「アフターコロナも含め、未来を見据えて取り組みたい」と意気込みを語る。
Fanistreamもメンバーから「やりたい」と上がった企画だ。きっかけは、Faniconでコミュニティを開設していたACIDMANの大木伸夫さんが3月11日に、Fanicon内でACIDMANのライブ配信を行った後、「チケット制で、コミュニティ会員以外も視聴できるようにならないか」とFaniconのメンバーに相談したことだった。翌日にも、他のレーベルのアーティスト担当者からも同じ質問を受けたため、3月13日の金曜日には社内でエンジニアも含めて打合せを行い、週明けには機能実装、3月20日にFanistreamの一発目となるライブ配信を実現した。
続けて、『#ライブを止めるな!』プロジェクトを実行。Fanistreamサービス使用料などを無償提供した。コロナ禍による困窮は、アーティスト本人だけではなく、ライブハウスや、エンジニアや照明スタッフなどにも広がっていた。一助になりたいとの想いに突き動かされ、社内一丸となり猛スピードで形にした。
一方で、一部の有名アーティスト以外、収益が上がりにくいなど、オンラインライブ配信の課題も見えてきた。アーティストからは「大きな音を出せるのは嬉しい、楽しいけど、観客からの反応がないのはやっぱり違う」との声も集まった。
「ライブの楽しみが半減してしまっている。ここにヒントがあるのかなとは思うが、僕らもまだ解は全然分かっていない。だからこそアーティストが自分たちでライブ配信をできるスタジオを新設して、どうすればファンもアーティストも喜んでビジネスとして成立するのか、これから模索していく」(平良氏)
リアルのライブ、CD/DVD販売や配信とは違う、オンラインならではの新しいライブの形を作ることができれば、本当の意味で新しいマーケットを創出できる。コロナ禍により急速にデジタルトランスフォーメーションの波が押し寄せたエンタメ界。さらなる“現状維新”に、熱い視線が注がれている。
平良氏にはもうひとつ、「心からやりたいことがあるなら、育ててあげたい」という若手世代への想いがある。
「僕が大企業で働いてきた経緯は、そのとき面白いと思うことをやっていただけで、自分としてはそれは違っていたんだ、と気がつくのに20年近くかかった。そんな経験があるので、若いうちにやりたいことがあるのなら、この会社では活躍する場もあるし、失敗してもいいのでチャレンジしてもらいたいと思っている」(平良氏)
そこにあるのは、「人生なんて、意味がない」という平良氏流の人生観だ。ロックンローラーに、いまでもなりたいと思うほど、三度の飯よりロック好きな平良氏は、幼少期から「人はなぜ死ぬのか、なぜ生きるのか」を問い続けてきた。しかし、いまではその問い自体が間違っていたことを確信しているという。「ビジネスでもそうだけど、悩むときは問い自体が間違っている」と指摘し、その気づきのエピソードをこう語った。
「般若心経の“色即是空 空即是色”という言葉を聞いたとき、この世の中は空虚だけど、一方でこの世そのものは色鮮やかだと思った。人生とは意味もなく虚しいものだけど、だからこそ辛くても自分で意味づけをしていこうと。ニヒリズムにもならず、自分で自分を騙せるくらい、何か面白いことをやろうよっていう、僕自身の問いの答えを体現しているのが、色即是空(しきそくぜくう)から名付けたTHECOO(ザクー)という社名になっている」(平良氏)
自分で自分を騙せるくらい、面白いこと。それは、やりたい理由はどうであれ、“お尻に火がついたように心からやりたいこと”だという。インタビューの中で平良氏は、「ロックとは、初期衝動をそのままに表現することだ」と語ったが、自分の力量や周囲の目を意識して恥ずかしくなってしまうようなことも、初志貫徹してやり抜くことは、ビジネスにも通じる大事な姿勢だ。
GoogleやFacebookのように、社名にローマ字の「O(オー)」が2つある会社は、グローバル企業に成長すると話す平良氏。THECOOがロックンロール魂で世界に飛躍する日は、そう遠くないかもしれない。
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