10月14日から16日にかけて、朝日新聞社主催の国際シンポジウム「朝日地球会議2019」が都内で開催された。国連主導のSDGsという新たなアプローチが注目され、環境問題や食糧問題、人権問題などについて地球規模での課題解決を考えるなかで、医療現場で最新テクノロジーを活用して課題解決に取り組む「ブロックチェーン、ビッグデータの技術は医療・健康分野をどう変えるか」と題するセッションが組まれた。
登壇者は、ブロックチェーンの技術を使って難民にデジタルIDを付与、診療記録などを保管する活動を展開する国際NGO「iRespond」の副代表で、テキサス・クリスチャン大学客員研究員のラリー・ドース氏と、レセプトのビッグデータを解析する研究に取り組む京都大学医学部附属病院 医療情報企画部長・病院長補佐 京都大学大学院医学研究科・情報学研究科 教授の黒田知宏氏の2名。
日本の年金、医療といった社会保障制度は、国民が継続的に保険料を払うことによって成立しているが、高齢化社会で医療費ばかりかさんでいく現状では、最も適した治療や薬を使って国民の健康を守っていかなければならない。
そのなかで、日本には国民皆保険制度によってデータはたくさんあり、2017年に次世代医療基盤法が施行されて研究開発や地域産業創出にデータを活用できるようになったが、個人情報保護との両立がネックとなりうまく活用できていない。個人情報を活用する必要性もビッグデータもあるのに、活用できないというのが日本の現状である。
一方、東南アジアの発展途上国では住民登録制度がなく身分証明書がないなど、日本のような社会保障制度は整っていない。そういったなかで社会的弱者であるミャンマーの難民に生体認証の技術を使い、IDを使って医療や教育の経歴を紐付けて記録させ、生涯その記録をしっかり維持させようというのがラリー氏の取り組みだ。そんなラリー氏も、世界における生体認証と紐づけた個人情報の活用状況については問題視する。
「現在の生体認証の活用は怖いと感じる。中国では生体認証を使って市民の社会活動を追って点数をつけ、社会的な点数によってベネフィットが得られるかを決める気味の悪い状況。インドには、効率的に社会保障を受けられるように『Aadhaar(アドハー)』という国民識別制度があり、データベースに13億人の記録が管理されている。考え方としては素晴らしいが、生の生体認証のデータをそのまま保存していて、写真や指紋と住所、名前、誕生日などが紐付けられているため、悪意あるハッカーの恰好の的になっている」(ラリー氏)。
そこでラリー氏が副代表を務めるiRespondが活用しているのは、虹彩(アイリス)認証。虹彩であれば、「サングラスやコンタクトレンズ着用で隠すこともでき、データを取られたくない場合ある程度自分でコントロールできる」(ラリー氏)という。複雑なアルゴリズムを使って虹彩の画像を12桁の番号に変換、その際に生の生体認証の虹彩情報は破棄される。システムデザインの中に個人情報保護が組み込まれているので、データを様々な形で活用できるようになるという仕組みだ。
ここで使われている暗号伝達の手法は、Zero Knowledge Proof(ゼロ知識証明)というもの。その状況で何が求められているかにより不要な情報は見せずに済み、プライバシーを守ることができる。ミャンマーで展開している仕組みでは、さまざまな診療所で光彩をスキャニングすると個人の医療記録が立ち上がり、その際に名前も住所も身元がわかることは聞かれなくて済むという。
「日本の電子カルテでも、プライバシーが大きな懸念事項になっているはず。一個人に対してどのようにデータをコントロールできるか。いつ誰とどのデータを共有できるのか、切り分けて設計しなければならない」とラリー氏は語る。
現在、ルールに沿って治療する「標準治療」に関するデータをみると、「がんの標準治療は75%の患者に効いていないことがわかっている」と黒田氏はいう。そのために考えられたのが、パーソナライズド・メディスン(個別化医療)という治療法。患者のがんの細胞が持っている遺伝子の変化を調べて、どの薬が効くかを調べるというもの。こういった治療が実際に始まろうとしているという。
「今の医療は、実はデータに頼って診療が行われていて、それがないと正しい治療ができない時代になってきているし、なろうとしている」(黒田氏)。
ではそのビッグデータをどう作り、どう集めるのか。日本では厚生労働省の「レセプト情報・特定検診等診断データベース(NDB)」という国全体の詳細な医療活動のデータベースがあるが、レセプトベースのため診療記録はあるが結果の記録が入っていないので十分ではないという。
そこで、病院で集めたデータと学校や会社での健診データ、母子手帳、家庭で測ったバイタルデータなどをまとめて管理する「生涯電子カルテ」の実現を目指すとともに、そのデータを管理する手法として民間による「情報銀行」が提案されている。国が免許を与え、同意をした人からデータを集め、政府や研究者、企業が製品を作る際などに匿名化をして必要な情報だけを有償で提供し、利益を仕組みの維持に充てるという形だ。
データの正確かつ効率的な取得という部分では、例えば黒田氏の京都大学病院では、ベッドの横に「バイタルデータターミナル」が設置され、検診に来た看護師の名前や患者が端末で測定したデータなどをBluetooth通信して問診を効率化する「ベッドサイドIoT」を実現しているという。そのほかにも、家の中や街の中で色々なデータをIoTで取得し、世界が持っているビッグデータに参照してAIで予測、それに合わせた治療や病気になることを防ぐ「先制医療」の時代が来るとする。
そこに必要なのは、「データと、それが誰のデータであるかを結びつけるためのID、安全に管理するための仕組みで、データにアクセスする権利がある人は誰かをIDで管理しなければならない」(黒田氏)という。
iRespondでは、この部分にブロックチェーン技術を活用している。難民はスマートフォンを通じて認証とデータへのアクセスができ、医者などに必要なデータのみ提供できる。難民キャンプを離れて移動しても、一生自分の身分証明や受けてきた診療・教育の履歴を管理できる。ドース氏は「この仕組みを複雑化することによって、どこでも活用できるような基本的な原理原則になる。より複雑な日本でも使えるのではないか」と提案する。
黒田氏は、「日本での適用は技術的には可能」とする。ただし、その際に問題となるのが、個人情報を取得し活用するにあたっての負の部分だけ声高に叫び、いかに活用するかという前向きな議論をしない日本の世論だ。「結果として誰も何も使えなくなっている。医療の現場はまさにそうで、いまだにデータが病院間でやり取りされていない」と黒田氏は明かす。
必要なのは、危険と報酬のバランスを考えること。このデータを提供することで、どんな利益が自分や社会全体にあるのかと考えることがまず大事であり、そのうえでこのデータが漏れたらどのようなリスクや問題があるかを冷静に考える必要がある。冷静に考え、みんなでバランスを取って同意のもとで使うことが大事だと黒田氏は訴えた。
「技術が急速に進歩し、世界はどんどん前に行く中で、我々はごちゃごちゃ考え込んでいる間に世界に置いていかれている。今それをやらないと、気が付いたら外から来たものを強制的に使わされている状況になるだろう。その前にしっかり考える必要がある」(黒田氏)。
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