「Pocketronic」は、三洋電機の「ICC-0081」、シャープの「QT-8B」と並んで、世界中の学生、エンジニア、科学者の手にポケット計算機を広める役割を果たした。現在のポータブルデバイスと同様に、このとき画期的だったのは、携帯性を犠牲にすることなく低電力消費のチップと信頼性の高い充電池を製造できたことだ。
4004の動作周波数は、0.1MHzにすぎなかったが、当時のインパクトは絶大だった。4004は世界最初期の真のマイクロプロセッサとなったが、現代のテクノロジの大抵がそうであるように、最初からそう意図されたわけではなかった。
Intel(当時は、よくある企業の1つにすぎなかった)は、日本の計算機メーカーであるビジコンと契約して、計算機のコストを抑えられるチップを設計した。4004は、1つのマシンだけを動かす専用のチップではなく、最初期の汎用プログラマブルチップとなり、基本的な計算を実行する以上のことが可能になった。そこから先は、ご存じのとおりだ。
次点:商用として世界初の留守番電話となった「PhoneMate Model 400」筆者がこの原稿を書いているとき、別室では妻が「PlayStation 4」で「Horizon Zero Dawn」をプレイしていた。驚異的なグラフィックスとアニメーションを駆使したオープンワールドのゲームで、4KとHDRで提供されている。夏休み向け超大作映画かと思うほどの解像度で、リアルな世界が描かれる。
だが1972年までさかのぼると、今よりはるかに原始的なグラフィックスを使った対話型のゲームが、巨大なコンピュータにつながった研究室に存在するだけだった。そこに登場したのが卓球ゲームの「PONG」だ。PONGは、商業的に成功した最初のビデオゲームとなり、そこから始まったゲーム産業は、今や映画業界と音楽業界を合わせたよりも大きくなっている。
PONGにしてもHorizon Zero Dawnにしても、間違いなく、妻のほうが筆者よりずっとゲームがうまい。
1973年というのは、Xerox「Alto」、世界最初の携帯電話、TCP、イーサネット、光ファイバが生まれた年だ。それらの技術がすべて組み合わされて、今ある世界が作られている。それだけに、1973年から1つを選ぶのは難しい。
筆者としては、Altoの年としたいとも思う。そこで披露されたものこそ、私たちが今よく知っているグラフィカルUIだったからだ。だが、スマートフォンは、デジタル世界の覇権争いでPCやMacの上を行っており、AltoのUI革命をさらに塗り替えていると言っていい。TCP、イーサネット、光ファイバは、いずれもインターネットの根幹であり、インターネットがなかったらどうなるか、想像もつかない。
10年前にこの記事を書いていたら、答えは違っていただろう。だが今日では、モバイル端末が何よりも圧倒的に優勢だ。そして、そのすべてが、1973年に始まったのである。
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