2007年の初代「iPhone」の登場は、コンピューティングパワーの使い方をめぐる革命の到来を告げるものだった。コンピュータが、デスクに置いて勤務時間中に使うPCという形から、ポケットに入れて持ち運び四六時中使うものへと変わったのだ。
スマートフォンはそれから約10年の間に目まぐるしく変化し、今やその性能は頂点に達している。進化の過程でPC、カメラ、テレビ、衛星ナビなど、さまざまな機能を取り込み、常に身近にあるデジタル機器となった。
だが、「2倍の明るさで輝けば、半分の時間で燃え尽きるものだ」(このセリフを引用するのはどうかと思うが)。そして、スマートフォンの輝きは、あまりにも明るく、まばゆいほどだった。
スマートフォンのイノベーションは、ゆっくりと止まろうとしている。端末に詰め込める機能はもうあまりなく、今ではディスプレイにカーブを付けることが最先端技術と言われるようになってしまった。巧みな機能が過剰に搭載されており、ほとんどの人はその存在に気付きもせず、一度も使うことなく終わってしまう。多くの国で市場は飽和状態にある。
スマートフォンは、黎明期から10年をかけてほぼ完成形に到達した。
では、次に来るものは何なのだろうか。
一時期は、ウェアラブルが次の大物になりそうだと目されていた。だが、現実的にスマートフォンの代わりとして使えるほどの処理能力とバッテリ容量を、スマートウォッチのようなものに収めるのは、あまりに難しいということが明らかになりつつある。仮にその問題を克服できたとしても、ウェアラブルで十分な大きさの画面を確保することはできそうにない。ユーザーとデジタル世界をつなぐ中心的な仲立ちにはなりえないのだ。
そこで、拡張現実(AR)と仮想現実(VR)が有力な候補となる。
筆者はどちらも試したことがあり、言葉が出ないほど驚異的な技術だが、世間の大半は真剣に取り合おうとしていない。
それも、いずれは変わるだろう。すでに現在のスマートフォンには終焉の予兆が見られる。
サムスンの「Galaxy S8」などのスマートフォンは、ヘッドセットに接続するとVRビューアとして機能するようになっている(次期iPhoneもおそらくそうなるはずだ)。
これだけでは、VRの利用そのものが飛躍的に進むきっかけにはならないだろうが、少なくとも、来たるべきものが何なのか、消費者が知る手がかりにはなるだろう。
筆者としては、中期的に見て、ARとVRの概念がもっと一般的になれば、スマートグラスがいずれ息を吹き返すという展開になると考えている。スマートグラスの行く手を阻む要因は少なくない。たとえば、いわゆる「Glasshole」(「glass」と「嫌なやつ」を意味する「asshole」の合成語)の問題は随所で取り上げられている。また、このようなメガネが妨げになることもあるため、装着を嫌がる人も多いだろう(特に、メガネのレンズに映る情報を読んでばかりで会話が上の空になる人がいたりしたら)。
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