皆さんはビデオゲームで泣いたことがあるだろうか。ないという人は、そのようなゲームをプレーしたことがないからかもしれない。
確かに、走って飛んで撃つ操作を繰り返す大ヒット作もたくさんある。そうした作品では、ゲームを進めていく上での物語はアクションの口実でしかない。だが10年ほど前から、一部のゲームメーカーは涙を誘うような非常に魅力的な物語を作り出している。たとえば「That Dragon, Cancer」だ。このゲームでは、プレーヤーは、末期癌と診断された幼児を育てる両親の生活を体験する。このような作品が存在することは、ゲームというメディアが、本物の心理的影響を伴う繊細な体験を提供できることを示している。
豪メルボルンのゲーム開発者で、作家、教育者でもあるLeena van Deventer氏は次のように語る。「双方向的なストーリーテリングが重要なのは、私たちが受動的な観点でのみ芸術に感動するわけではないからだ。自分自身のデジタル版が画面に映っているため、時には結果に大きな関心を向けることもある」
しかし、このように複雑で双方向的な物語を伝える機能が可能になったのは、コンピュータの処理速度が上がり、賢くなったからにほかならない。ここでは、ビデオゲームにおけるストーリーテリングの話をお届けする。
ビデオゲームの成功の波が最初に訪れたのは1970年代だった。アーケードマシンや家庭用ゲーム機が登場したころだ。Nolan Bushnell氏がAtariを創設し、「Pong」を発売。Pongは簡素な白黒のアーケードゲームで、プレーヤーはブロックを卓球のラケットのように動かしてボールを打ち合う。サウンドエフェクトもシンプルなものだった。当時の演算能力の限界を考えると(初代「Atari 2600」のメモリ容量はわずか128バイトだった。キロバイトでも、メガバイトでも、ギガバイトでもない)、1つのアイデアを実現するのがやっとだった。
Pongのようなゲームの本質は「楽しみと挑戦」だったとBushnell氏は話す。「当時のテクノロジは非常に厄介で、ゲームを正常にプレーできるようにするのが大変だったため、物語を考える余裕はなかった。テーマや物語のコンセプトを追加するようになったのは、1980年代前半のことだ。そのころ、実際のキャラクターを伝えられる品質のデジタルサウンドやグラフィクスを利用できるようになった」(Bushnell氏)
その「楽しみと挑戦」という公式は当初、スポーツをテーマとするゲームが中心だった。「なぜなら、それらのゲームは既知の(プレー)ルールと共通点があり」、ゲームセンターやバーでピンボールマシンやビリヤード台と並べて設置するのに適していたからだ。Pongが卓球を提供したのに対し、Atariの競合タイトーはホッケーやバスケットボール、サッカーをベースとするゲームを開発した。
こうした初期のゲームは純粋なゲームプレイだったが、ストーリーを重視した最初期のゲームは純粋なワードプレイ、言葉のやり取りだけだった。
テキストアドベンチャーという形式のゲームだ。まず「Colossal Cave Adventure」「Adventureland」「Zork」が登場し、メインフレームコンピュータや、「Apple II」など初期のホームコンピュータで動いた。こうしたゲームにはインタラクティブフィクションという呼び方もあった。トールキンの物語や「Dungeons & Dragons」のようなボードゲームからそのまま取り入れたようなファンタジーやSFのコンセプトがベースになっているからだ。
これらのアドベンチャーゲームでは、各シーンが言葉で説明されていた。小説の段落と同じようなものと思えばいい。プレーヤーはコマンドを入力して、次に何をするか指示する。「Go west, use key, open door, grab sword」(西へ進め、鍵を使え、扉を開け、剣をつかめ)といった具合だ。シーンを観察して謎を解き明かすと、ストーリーが新たに展開し、結末に向かって進んでいく。
コンピュータの進化に伴い、ゲームに重要な機能が加わった。メモリである。これで、ゲームをセーブして中断したところから再開できるようになり、何日もかけて冒険を進められるようになった。
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