もちろん、読書率を調べているのは、文化庁の調査だけではありません。よく言及されるものとして、毎日新聞が毎年発表している「読書世論調査」、小中高生を対象とした「学校読書調査」、大学生を対象とした「学生の消費生活に関する実態調査」があります。
この中で、「活字離れ」を示唆するような結果が明確に出ているのは、「学生の消費生活に関する実態調査」だけ(たとえば、「学校読者調査」の最新の調査結果では、こちらにあるように不読率は下がっている)ですが、これも2010年、2011年を除いて、電子書籍を調査対象にしていません。
また、現在と調査方式は異なるものの、1997年に過去最高の不読率を記録しており、この調査の示す「不読率」が、出版不況とどれだけ関連があるかは不明です。なぜなら、出版産業は、1996年に過去最高の売上を記録したからです。(※3月6日10時15分:不読率のピークを「1996年」→「1997年」、出版産業売上額のピークを「同年」→「1996年」に訂正しました。)
さて、ここまでの数字を見て、なおも「日本人は本(雑誌)を読まなくなっている!」「若者のせいだ!」とか論じたい方がいらっしゃったとしたら、そうした人々は、どういう論拠を持ち出せばいいのでしょうか。 「電子書籍(コミック)なんか本じゃない!」とかいったところでしょうか。
それはそれで1つの「見識」ではあると思います。しかし、そこまで「本」というものを狭く捉えることに、いったいどんなメリットがあるのか不明です。
電子書籍を「本」に含めることは、すでに国際出版社連合(International Publishing Association)や米国出版社協会(Asssociation of American Publishers)、英国出版社協会(The Publishers Association)、欧州連合などで共通理解となっています。
先進国の中で日本だけが、紙と電子を峻別することに、頑なにこだわり続けているのが実情です。統計のガラパゴス化です。
しかし、文化庁は2014年の「国語に関する世論調査」で、そのようなスタンスを取りませんでした。紙の本と電子書籍のそれぞれについて、読書の実態を調査したのです。ところが、それを引用する側は、文化庁のそうした配慮を斟酌せず、自らの主張に都合のよい部分だけをつまみ食いしたように見えます。
普通に考えて、ここまでの検討から引き出せる結論は、次のようなものではないでしょうか。
そもそも「活字離れ」は、なぜ問題なのでしょうか。
それは、藤原氏も示唆するように、本が、あらゆる人間の知的活動の基盤となっているからだと思います。
そうした基盤の中には、「きちんとした文献やデータにもとづいて議論や主張をする」という姿勢、いわば「知的誠実性(Intellectual Integrity)」も含まれるでしょう。
こうした知的誠実性を含む、活字媒体によって連綿と培われてきた遺産を、仮に「活字文化」と呼ぶこととすれば、それが失われれば、確かに国や文化は危機に瀕すると思います。
ところが「活字離れ」を嘆く論説こそが、この意味での活字文化を、どうも尊重していないような気がするのです。
活字文化を尊重しない態度の広まりを「活字離れ」ととらえるならば……。活字離れを論じたがるメディアや評論家においてこそ、活字離れが起きているのではないか。そう、私には思われてなりません。
少なくとも、「テレビで見た」1つの数字だけを根拠に、「日本人は本を読まない、愚かな国民」などという実態とは異なるイメージを内外に振りまくことが、「国家の品格」を高める行為でないことは確かです。
林 智彦
朝日新聞社デジタル本部
1968年生まれ。1993年、朝日新聞社入社。
「週刊朝日」「論座」「朝日新書」編集部、書籍編集部などで記者・編集者として活動。この間、日本の出版社では初のウェブサイトの立ち上げや CD-ROMの製作などを経験する。
2009年からデジタル部門へ。2010年7月~2012年6月、電子書籍配信事業会社・ブックリスタ取締役。
現在は、ストリーミング型電子書籍「WEB新書」と、マイクロコンテンツ「朝日新聞デジタルSELECT」の編成・企画に携わる一方、日本電子出版協会(JEPA)、電子出版制作・流通協議会 (AEBS)などで講演活動を行う。
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