「18歳からの著作権入門」連載。やたらと勇ましい今回のタイトルですが、これは「保元物語」の中の源親治という武将の台詞。「武士(もののふ)たるもの、命を捨てても名誉は守れ!」と、戦場で一族に突撃を命じた際の言葉です。来ますね、侍スピリッツに。
さて、この名誉、もう少し広げて言えば各自の人格。著作権の世界でも時にお金より大事らしく、今日はそのお話。
第5回で、「著作権は自由に譲渡できる」と書きましたね。譲渡すると、以後は相手が「著作権者」になって、作品を複製したり公衆送信したりする許可は以後、著作権者が出すのでした。譲渡したクリエイターはその後も「著作者」ではありますが、もう自分の作品といえども自由には使えなくなるのが原則です。
では、著作者は作品について全く無権利になるかといえば、実は権利は残ります。「著作者人格権」といって、創り手としての最低限の人格的な権利は、何があってもクリエイターに残るのです。狭い意味での著作権とは別の権利なのですが、どんな内容かというと次の3つ(4つ)です。
まず「公表権」とは、未公表の作品をいつ公表するか決定することができる権利です。「公表」というのは著作権ではよく登場する言葉で、たとえば第9回・第10回で紹介した「引用」や「非営利の上演・演奏」も公表作品だけが対象で許されるのですね。そして作品を公表するかどうかを決めるのは著作者なのです。
たとえば手紙です。手紙はたいてい送った人の著作物ですが、貰った側はしばしば自分のものだと思うのですね。それで自分の書籍の中で引用したり人に提供して引用を許したりします。これは無断公表ですので、送り手の(プライバシーの侵害でもあるかもしれませんが)公表権の侵害です。
ちなみに、著作者人格権ではなく手紙の「著作権」の方は誰にあるかといえば、物としての手紙の所有権は貰った人にあるでしょうが、著作権はやはり送った側にあります。手紙を送ったくらいで、著作権の譲渡とはみなされないのですね。ですから、手紙の文章を書籍に掲載すれば、著作権の侵害にもなります。こちらは引用なら許されそうですが、先ほど書いた通り未公表作品は引用できません。つまり、手紙の引用は著作者人格権の侵害でもあるし、多分著作権の侵害でもあるのですね。
では、故人の手紙ならどうか?実は、クリエイターの死後でも、著作者人格権にあたるような行為は禁じられています。ただ、この保護は時間の経過などで弱まると考えられていますので、死後十分な時間が経過し手紙が歴史的資料と言えるような時期になれば、公表しても問題は小さいでしょう。
次いで、「氏名表示権」とは、「私は確かにあなたに著作権を譲渡しました。しかし、あくまで私の作品ですからあなたの名前で出版したりするのは止めて下さい。私の名前を出して利用してください」と言える権利です。つまりクレジットを求める権利です。
いわば名誉。これは多くのコンテンツの現場ではとても大切なもので、たとえばハリウッドで作品が映画化されたり、映画に出演する際の契約では、映画の画面や広告のどの位置に、どんなサイズ・順番でどんな名称を記載するのか、極めて細かく規定されるし、タフな交渉が繰り広げられます。
こうした“序列”への強烈なこだわりは、洋の東西を問いません。契約書こそ簡単ですが、日本でも名前の順番とかポスターでの写真の大小とか、左右どっちが偉いとか、顔だけならあっちが大きいけどこっちは全身が写ってるとか、順番が下の代わりに「特別出演」とか「友情出演」とか「特別友情出演」とか、まあ他人から見たらどうでも良さそうなクレジットをめぐる激闘の後は作品の随所に残っています。これは本人の名誉感情だけでなく、位置取りや露出のしかたが今後の仕事に影響すると思っての部分も大きいでしょう。
芸能界に限らず、「名前の出しかた」をめぐる行き違いは社会の随所に見られます。あの本は明らかに俺の本を参考にした癖に参考文献に載せてないとか、出し方が足りないとか、こういう恨みは深い。あの人は肝心な挨拶で私の名前を出さなかったとか、やっぱり気になりますよね。私たちは、業の深い生き物です。実際、著作権に関するトラブルの少なからぬものは、「あそこで一言名前を出して感謝していれば起きなかったんだろうな」と思える事件だったりします。
さて、この氏名表示権、作品の利用に際して著作者は「私の名前を出して下さい」とも言えるし、逆に「匿名が良いので、私の名前は出さないで下さい」とも言えます。たとえば「ふたりでひとりの藤子不二雄にして下さい」とペンネームの指定もできます。また、「今後は、藤子・F・不二雄にして下さい」と途中で指定を変えることも、基本的には出来ます。
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